歴史を彩った女性のショートストーリー(日本編)~(4)平安時代前期
歴史を彩った女性のショートストーリー(日本編)~(4)平安時代前期
●ショートストーリー作成:matiere
(源氏物語千年紀)
今年2008年11月1日に、源氏物語の存在が記録上確認されてから、一千年を迎えます。京都市では、この機会をとらえ、紫式部ら平安女性の偉業を讃えるとともに、「源氏物語」が宿す日本文化の美と思想を、あらためて広く分かち合い、後世に伝えていくことを目的として、「源氏物語千年紀記念事業」や協賛行事が計画されています。
そこで「源氏物語」の話を少々。光源氏のラブストーリーです。源氏物語の中で、光源氏は数多くの女性遍歴を重ねながら、自己形成の道を歩みます。幾多の女性との出会いと別れを繰り返し、あるときは女性たちの嫉妬に悩み、またあるときは自らの過ちに深く苦しみます。そんな光源氏が口説き落とせなかった女性が3人います。 秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)、玉鬘(たまかずら)、朝顔の姫君の3人です。この中でも完全に源氏を振ったのは、朝顔の姫君。源氏物語第20帖「帚木(ははきぎ)」に登場します。
「源氏物語」絵巻・朝顔
若い頃から朝顔に執着していた源氏は、朝顔と同居する叔母の女五の宮(おんなごのみや)の見舞いにかこつけ、頻繁に朝顔の姫君の居所である桃園邸を訪ねます。朝顔も源氏に好意を抱いていたましたが、源氏と深い仲になれば、源氏に振られた六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と同じく不幸になろうと恐れて源氏を拒みました。
朝顔の姫君は、源氏が若い頃から熱をあげていた女性の一人で、高貴の出のため源氏は何度も妻にしたいと思っており、正妻の紫の上の立場を脅かしました。朝顔の姫君も源氏に好意を寄せていましたが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女性たちの顛末を知るにつけ妻になろうとまでは思わず、源氏の求愛を拒み続けます。源氏とは終始プラトニックな関係だったようです。
ずっと源氏に言い寄られていた朝顔の姫君は、賀茂の斎院として神に仕えることになります。巫女さんです。8年働いたのち、父親が死んだのをきっかけに京に戻ります。そこへ光源氏がすり寄ってきます。 言い寄る源氏と拒む朝顔、その歌のやりとりが面白いので、引用してみましょう。
源氏
「人知れず 神のゆるしを 待ちし間に ここらつれなき 世を過ぐすかな」
(やれやれやっと神の許しが出ましたか。ずーっとあなただけを待ってたんですよ)
--光源氏さん、調子のいい口説き文句ですね。
朝顔
「なべて世の あはればかりを とふからに 誓ひしことと 神やいさめむ」
(あら何をおっしゃるの。あなたと世間話でもしようものなら、また神様に怒られてしまいますわ)
--さすがの朝顔の姫、その手には乗らぬと巧く交わします。
でも源氏は懲りずに、なんと、色艶の褪せた朝顔を添えて、また一首を送ります。
源氏
「見しをりの つゆ忘られぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん」
(朝顔のようなあなたを一目見たら忘れられないのです。
しかしあなたも、もうこの朝顔のように花の盛りを過ぎたことでしょうに)
--、俺を振りやがって、この~! そっちだってもう若くはあるまいに、と言っちゃった。
朝顔の姫も負けてはいません。
何なのよ~・・・・と、朝顔は源氏をやり返しました。
朝顔
「秋はてて 梅雨のまがきに むすぼほれ あるかなきかに うつる朝顔」
(冴えない色艶の朝顔ですか。確かに私そのものですね。)
--愛を拒まれた光源氏さん、可愛そうに、空振りに終わりました。
そりゃ、そうでしょう。あなたはもうトシなんだから、気張ってないで素直に俺の女になりなさい、なんて
言われて落ちる女性なんかいませんよ。もっと巧くやりましょうよ、源氏さん。
色鮮やかな朝顔の花を添えて、得意の口説き文句でモーションをかければ、
上手くいっていたかもしれませんよ。
さすがの紫式部。巧みな筆使いで男女の機微を見事に描いています。
源氏物語は54帖より成り、おおむね100万文字に及ぶ長篇で、800首ほどの和歌を含む典型的な王朝物語です。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さから日本文学史上最高の傑作とされます。
物語は、母系制が色濃い平安朝を舞台にして、天皇の皇子として生まれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏が数多の恋愛遍歴をくりひろげながら人臣最高の栄誉を極め(第1部)、晩年にさしかかって愛情生活の破綻による無常を覚えるさままでを描き(第2部)。さらに老年の光源氏をとりまく子女の恋愛模様や(同じく第2部)、或いは源氏死後の孫たちの恋(第3部)がつづられています。
源氏物語がいつ作られたかについては、平安時代の1008年11月1日に、「若紫」の巻が書かれ発表されたことが、唯一確実な事実としてわかっています。
(平安時代前期を彩った女性)
平安時代は、桓武天皇が都を平安京にうつした794年から源頼朝が鎌倉幕府を開いた1192年までの約400年間をいいます。 ここでは、平安京遷都の794年から、白河天皇による院政が始まった1086年までを平安時代前期、1086年から鎌倉幕府誕生の1192年までを平安時代後期と捉え、平安時代前期に歴史を彩った4人の女性にスポットを当てました。
小野小町、清少納言、紫式部、和泉式部です。
小野小町(おののこまち)
小野小町
●神秘のとばりに包まれた伝説の美女小野小町
艶麗な王朝浪漫を漂わせ 熱情的に恋の歌詠う
(matiere)
(コメント)
次の歌からも美女であった事が窺える。
--花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
<返歌>
--思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
清少納言(せいしょうなごん)
●春はあけぼの枕草子 清少納言のモニュメント
しみじみと風情を詠う 美の余情
(matiere)
清少納言
(コメント)
清少納言の歌は、その豊かな感受性と観察の鋭さを、簡潔に表現していて、
知的・理性的で華やかな美を象徴していると思う。
表現上の特徴としては体言止めで述語を省略し、余情を残している。
紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部
●橘の香り懐かし平安の 京極大路を歩み行き
王朝貴族の栄華を語る 紫式部の筆の彩り
(matiere)
(コメント)
清少納言が理知的であるのと反対に、紫式部は情感的だ。
『源氏物語』の『もののあわれ』という言葉は、心情的な感動を表している。
紫式部は、日記によると、どうも清少納言が気に入らなかったようなところがある。
清少納言は、才能が豊かで、男どもをもやり込めるような勝気さをもっていたらしく、
紫式部は清少納言を生意気な女だと思っていたのかもしれない。
和泉式部(いずみしきぶ)
和泉式部
●さつき待つ花橘の香かぎ 愛しき君の袖の香を待つ
夕暮れはものぞ哀しき 和泉式部の王朝恋歌
(matiere)
(コメント)
紫式部は和泉式部を評して「けしからぬ」ところがあると言っているが、それは男癖が悪いという意味なのか。
当時、女性が複数の男性と付き合うことは別段咎められることではなかったし、夫以外の男性を通わせるのも
自由だったようだ。
●ショートストーリー作成:matiere
(源氏物語千年紀)
今年2008年11月1日に、源氏物語の存在が記録上確認されてから、一千年を迎えます。京都市では、この機会をとらえ、紫式部ら平安女性の偉業を讃えるとともに、「源氏物語」が宿す日本文化の美と思想を、あらためて広く分かち合い、後世に伝えていくことを目的として、「源氏物語千年紀記念事業」や協賛行事が計画されています。
そこで「源氏物語」の話を少々。光源氏のラブストーリーです。源氏物語の中で、光源氏は数多くの女性遍歴を重ねながら、自己形成の道を歩みます。幾多の女性との出会いと別れを繰り返し、あるときは女性たちの嫉妬に悩み、またあるときは自らの過ちに深く苦しみます。そんな光源氏が口説き落とせなかった女性が3人います。 秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)、玉鬘(たまかずら)、朝顔の姫君の3人です。この中でも完全に源氏を振ったのは、朝顔の姫君。源氏物語第20帖「帚木(ははきぎ)」に登場します。
若い頃から朝顔に執着していた源氏は、朝顔と同居する叔母の女五の宮(おんなごのみや)の見舞いにかこつけ、頻繁に朝顔の姫君の居所である桃園邸を訪ねます。朝顔も源氏に好意を抱いていたましたが、源氏と深い仲になれば、源氏に振られた六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と同じく不幸になろうと恐れて源氏を拒みました。
朝顔の姫君は、源氏が若い頃から熱をあげていた女性の一人で、高貴の出のため源氏は何度も妻にしたいと思っており、正妻の紫の上の立場を脅かしました。朝顔の姫君も源氏に好意を寄せていましたが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女性たちの顛末を知るにつけ妻になろうとまでは思わず、源氏の求愛を拒み続けます。源氏とは終始プラトニックな関係だったようです。
ずっと源氏に言い寄られていた朝顔の姫君は、賀茂の斎院として神に仕えることになります。巫女さんです。8年働いたのち、父親が死んだのをきっかけに京に戻ります。そこへ光源氏がすり寄ってきます。 言い寄る源氏と拒む朝顔、その歌のやりとりが面白いので、引用してみましょう。
源氏
「人知れず 神のゆるしを 待ちし間に ここらつれなき 世を過ぐすかな」
(やれやれやっと神の許しが出ましたか。ずーっとあなただけを待ってたんですよ)
--光源氏さん、調子のいい口説き文句ですね。
朝顔
「なべて世の あはればかりを とふからに 誓ひしことと 神やいさめむ」
(あら何をおっしゃるの。あなたと世間話でもしようものなら、また神様に怒られてしまいますわ)
--さすがの朝顔の姫、その手には乗らぬと巧く交わします。
でも源氏は懲りずに、なんと、色艶の褪せた朝顔を添えて、また一首を送ります。
源氏
「見しをりの つゆ忘られぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん」
(朝顔のようなあなたを一目見たら忘れられないのです。
しかしあなたも、もうこの朝顔のように花の盛りを過ぎたことでしょうに)
--、俺を振りやがって、この~! そっちだってもう若くはあるまいに、と言っちゃった。
朝顔の姫も負けてはいません。
何なのよ~・・・・と、朝顔は源氏をやり返しました。
朝顔
「秋はてて 梅雨のまがきに むすぼほれ あるかなきかに うつる朝顔」
(冴えない色艶の朝顔ですか。確かに私そのものですね。)
--愛を拒まれた光源氏さん、可愛そうに、空振りに終わりました。
そりゃ、そうでしょう。あなたはもうトシなんだから、気張ってないで素直に俺の女になりなさい、なんて
言われて落ちる女性なんかいませんよ。もっと巧くやりましょうよ、源氏さん。
色鮮やかな朝顔の花を添えて、得意の口説き文句でモーションをかければ、
上手くいっていたかもしれませんよ。
さすがの紫式部。巧みな筆使いで男女の機微を見事に描いています。
源氏物語は54帖より成り、おおむね100万文字に及ぶ長篇で、800首ほどの和歌を含む典型的な王朝物語です。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さから日本文学史上最高の傑作とされます。
物語は、母系制が色濃い平安朝を舞台にして、天皇の皇子として生まれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏が数多の恋愛遍歴をくりひろげながら人臣最高の栄誉を極め(第1部)、晩年にさしかかって愛情生活の破綻による無常を覚えるさままでを描き(第2部)。さらに老年の光源氏をとりまく子女の恋愛模様や(同じく第2部)、或いは源氏死後の孫たちの恋(第3部)がつづられています。
源氏物語がいつ作られたかについては、平安時代の1008年11月1日に、「若紫」の巻が書かれ発表されたことが、唯一確実な事実としてわかっています。
(平安時代前期を彩った女性)
平安時代は、桓武天皇が都を平安京にうつした794年から源頼朝が鎌倉幕府を開いた1192年までの約400年間をいいます。 ここでは、平安京遷都の794年から、白河天皇による院政が始まった1086年までを平安時代前期、1086年から鎌倉幕府誕生の1192年までを平安時代後期と捉え、平安時代前期に歴史を彩った4人の女性にスポットを当てました。
小野小町、清少納言、紫式部、和泉式部です。
小野小町(おののこまち)
●神秘のとばりに包まれた伝説の美女小野小町
艶麗な王朝浪漫を漂わせ 熱情的に恋の歌詠う
(matiere)
(コメント)
次の歌からも美女であった事が窺える。
--花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
<返歌>
--思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
清少納言(せいしょうなごん)
●春はあけぼの枕草子 清少納言のモニュメント
しみじみと風情を詠う 美の余情
(matiere)
(コメント)
清少納言の歌は、その豊かな感受性と観察の鋭さを、簡潔に表現していて、
知的・理性的で華やかな美を象徴していると思う。
表現上の特徴としては体言止めで述語を省略し、余情を残している。
紫式部(むらさきしきぶ)
●橘の香り懐かし平安の 京極大路を歩み行き
王朝貴族の栄華を語る 紫式部の筆の彩り
(matiere)
(コメント)
清少納言が理知的であるのと反対に、紫式部は情感的だ。
『源氏物語』の『もののあわれ』という言葉は、心情的な感動を表している。
紫式部は、日記によると、どうも清少納言が気に入らなかったようなところがある。
清少納言は、才能が豊かで、男どもをもやり込めるような勝気さをもっていたらしく、
紫式部は清少納言を生意気な女だと思っていたのかもしれない。
和泉式部(いずみしきぶ)
●さつき待つ花橘の香かぎ 愛しき君の袖の香を待つ
夕暮れはものぞ哀しき 和泉式部の王朝恋歌
(matiere)
(コメント)
紫式部は和泉式部を評して「けしからぬ」ところがあると言っているが、それは男癖が悪いという意味なのか。
当時、女性が複数の男性と付き合うことは別段咎められることではなかったし、夫以外の男性を通わせるのも
自由だったようだ。
源氏物語千年紀ホームページ
http://www.2008genji.jp/index.html
「源氏物語千年紀」 イメージキャラクター 柴本幸さん柴本幸
「源氏物語千年紀記念事業」のイメージキャラクターに、NHK大河ドラマ「風林火山」のヒロイン由布姫役を演じた柴本幸が選ばれた(2007年11月1日)。
柴本は記者会見で「光栄です。学生時代に円地文子さんの訳を読んだだけなので、 一年間物語の面白さを勉強したい」と抱負を語った。
京都府や商工会議所などでつくる源氏物語千年紀委員会によると、清新さと、女性が持つ知性の象徴にふさわしいことから柴本幸が選ばれた。
この記事へのコメント
今、学校の課題研究で紫式部と清少納言について調べているのですが、そのプレゼンテーションの中でこのページにある清少納言の画像を使わせていただきたいと思っています。可能でしょうか?
迷惑をかけてすみません。よろしくお願いします。