【芸能】石原裕次郎を懐かしむ

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石原裕次郎を懐かしむ

 昭和62年(1987年)、彼がわずか52歳でこの世を去ったとき、新聞・雑誌は一斉に追悼記事を大きく載せ、テレビは競って特別番組を放送したが、いかに国民的大スターの死とはいえ、これはきわめて異例なことであった。石原裕次郎は"映画スター"という形容には収まりきらない存在といえるだろう。
 兄・慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」の脇役でデビューした彼は21歳。長身に日本人離れした長い足、慶応ボーイらしい育ちのよさと奔放で物おじしない快活さ、ダイナミックな存在感、それらすべてが"太陽族"のシンボルとして熱狂的に支持され、社会現象を巻き起こした以後は、「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「陽のあたる坂道」が空前の大ヒットを記録。たったひとりで東映オールスター時代劇以上の収益を上げたのだから、その人気の凄まじさがわかる。
 そして、裕次郎は自ら設立した石原プロで、映画の製作にも乗り出す。その第1作である「太平洋ひとりぼっち」は、2時間余をひとり芝居で見せる好演もあって、彼の映画歴でも最高のものとなった。
 また、歌手としても、戦後最大のヒットメーカーのひとりとして歴史に残る。

略歴
 昭和9年(1934年)12月28日、神戸市須磨区生まれ。父は汽船会社重役。慶応高校時代はバスケット選手を目指した。昭和31年、兄・慎太郎の芥川賞受賞作の映画化「太陽の季節」に脇役として出演。慶大を中退して日活に入社し、「狂った果実」で主演デビュー。"裕ちゃん現象"を引き起こし大スターとなる。昭和38年石原プロを設立して映画制作にも挑戦。昭和62年(1987年)7月17日、52歳にて死去。



   「Excite エキサイトミュージック ~ 石原裕次郎 」より
    http://www.excite.co.jp/music/artist/227610/
 
 戦後の混沌が終息を迎え、今まさに高度経済成長を遂げようとしていた1950年代にっぽん。昭和生まれの若者たちは旧態然とした日本的文化とは異なる、スタイリッシュなニュー・カルチャーを欲していた。そんな中、彗星のごとく登場した石原裕次郎。ファッション、ライフ・スタイル、言動……作家である実兄の石原慎太郎(現・東京都知事)と共に、日本全国民に甚大な影響を与えた。それはまさしくニュー・リーダーの誕生であったのだ。彼の存在は我々にとって“憧れや理想”そのものであり、未曾有の高度成長を遂げる日本経済において影の原動力となったと言えよう。
 56年、慎太郎原作による映画『太陽の季節』にてデビュー。その後の活躍はもはや言うまでもなく、『狂った果実』『海の野郎ども』『嵐を呼ぶ男』などなど、男気と青春とカタルシスがパンパンに詰まった映画に次々と主演し、戦後最大の銀幕スターとなる。また、俳優業と同時に歌手としても爆発的な人気を獲得。哀愁とコクにあふれた激渋ヴォイスで、膨大な数のヒット曲を生み出していった。


  映画評論家 故・田山力哉氏 著書より
 
 日活に裕次郎が登場したことは、単に映画界だけのことに留まらず、ひとつの社会現象ででもあるかのような騒然たる話題をまき起こした。 それは戦後10年、暗く欝積していた青春がはじけるように花開き、太陽の下に躍動したというような、 新しい青春の出現のシンボルのようなものであった。
 スーッと伸びた長い脚、、片手をポケットに突っこみ反抗的に肩をそびやかした歩き方、育ちの良さそうなカラカラした明るさ、 うじうじしたコンプレックスを吹きはらった奔放でエネルギッシュな行動力、そうした彼の持つムードが封建的な日本の古い殻の中に 閉じこめられていたそれまでの日本人のコンプレックスを一気に吹きはらう役割を果たしてくれたのだ。
 喧嘩の強い青年を演じたアクションは抜群であり、やくざっぽい口つきで「ふざけんじゃねえよ」とか「俺はやるぜぇ」とか言いながら、 裕次郎は生き生きとした現代の若者ムードを表現していたのだ。 




日活ムード・アクションについて
 日活ムード・アクションとは、昭和38年(1963)~昭和43年(1968年)頃までの石原裕次郎と浅丘ルリ子の共演作(一部に桑野みゆき、星由里子)を指す。陽性の若者から中年へと移行していった裕次郎は、映画の中に、年齢に応じたヒーロー像を作り出した。それは、体を使うライブ・アクションではなく、ラブ・ロマンスを主軸としたストーリーの中で、苦悩するヒーローが、時おりそのパッションをはじけさせるように見せるアクションであった。相手役はおおむね浅丘ルリ子で、ふたりの間には、何らかの愛の障害がある。そしてそこには、裏の世界が関与している。この独特の雰囲気は、裕次郎主演作としては、すでに1958年のフランス映画「望郷」を翻案した「赤い波止場」で明示されていた。だが、この時期、ムード・アクションがひとつの流れをもつに至ったのは、ヒロイン、浅丘ルリ子の存在が大きい。愁いのある彼女の絶頂期とも言える美の輝きと、内に秘めた意志を伝える瞳。過去を持つ薄幸の、そしてその薄幸に抗おうとする彼女の女性性なくしては、このムード・アクションは成立しなかった。そして、そのバックにはいつも裕次郎によるヒット主題歌が流れていた。

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日活映画「銀座の恋の物語」 石原裕次郎 浅丘ルリ子


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日活映画「赤いハンカチ」 石原裕次郎 浅丘ルリ子


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日活映画「夕陽の丘」 石原裕次郎 浅丘ルリ子


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日活映画「夜霧よ今夜も有難う」 石原裕次郎 浅丘ルリ子



日活撮影所周辺地図

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日活撮影所は、かつて「東洋のハリウッド」といわれた映画の街・東京調布にある。


日活撮影所
東京都調布市染地2-8-12
京王線調布駅下車/南口・京王バス(多摩川住宅西行)10分日活撮影所下車。調布駅から歩くと約20分。
京王線布田駅下車/南口・布田南通りを多摩川方向に徒歩約15分。
京王相模原線京王多摩川駅下車徒歩約5分。
小田急線狛江駅下車/小田急バス多摩川住宅下車徒歩約7分。



マイページリンク:【芸能】浅丘ルリ子を想う
http://matiere.at.webry.info/200407/article_5.html





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