【芸能】浅丘ルリ子を想う


浅丘ルリ子を想う


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可愛かったです。


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日活撮影所周辺
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木の実ナナさんと。
浅丘ルリ子と木の実ナナ

昭和30年代、私は中学生から高校生にかけての思春期の真っ只中。当時の住まいは、東京都調布市。その調布に日活撮影所がある。その頃、日活は青春映画で活気にあふれていた。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、芦川いづみ、浅丘ルリ子、吉永小百合・・・その中でキラ星の如く私の心を捉えた女優がいた。我がふるさと・調布市出身、2年先輩の浅丘ルリ子である。今日は、その浅丘ルリ子の足跡を辿ってみたい。

本名・浅井信子。1940年(昭和15年)7月2日、満州国新京市(現:長春)に生まれる。東京都調布市出身。杉並区・菊華高校卒業。身長156cm。
1954年(昭和29年)、中学時代の14歳のとき、日活映画「緑はるかに」(井上梅次監督)の主役公募で、3000人の中から選ばれデビュー。清々しさと可憐さで人気を得て、以来、小林旭との共演で日活映画のナンバーワン・ヒロインとして輝きを与えた。

57年「鷲と鷹」で石原裕次郎と初共演し、以来恋人役などで共演を重ねる。
58年映画「明日は明日の風が吹く」59年映画「ギターを持った渡り鳥」60年映画「口笛が流れる港町」 60年映画「渡り鳥いつまた帰る」61年映画「波涛を越える渡り鳥」 61年映画「大海原を行く渡り鳥」62年映画「渡り鳥北へ帰る」62年映画「銀座の恋の物語」63年映画「夜霧のブルース」64年映画「赤いハンカチ」 64年映画「夕陽の丘」などで石原裕次郎らと共演し、日活最盛期の数々の作品でみずみずしいヒロインを演じ、日活を支えるトップ女優として活躍する。日活出演総本数は約130本を数え、多くのファンを獲得。まさに映画スターの名にふさわしい女優である。

テレビでは、68年、黎明期のNHK大河ドラマ、司馬遼太郎原作・北大路欣也主演「竜馬がゆく」でお竜(おりょう)を熱演した。

日本テレビ系のドラマ・森光子主演の「二丁目三番地」で、石坂浩二と夫婦役で出演。これが縁で石坂浩二と71年5月14日に結婚する。しかし、2000年12月27日離婚。芸能界のおしどり夫婦だった2人が「何で“いまさら”離婚するの」というのが正直な感想であった。真相は不明だが、離婚に至った経緯について石坂の説明を要約すれば、「老いた自分の両親といっしょに住もうとしたが、浅丘を引きずり込むわけにはいかない。自分よりはるかに優れた役者、女優として、本当の花を開かせるのはこれからだ。だから、別れた方がいい。」というように解釈される。石坂家の老人介護問題が背景にあるという説明だった。

浅丘ルリ子は、石坂浩二との結婚後の73年から、松竹映画・山田洋次監督「男はつらいよ・寅さんシリーズ」に出演し、マドンナ・リリー役を演じた。マドンナ役は浅丘ルリ子が最多登場であり、寅さんシリーズの中でなくてはならない存在であった。「男はつらいよ」により、75年76年と続けてブルーリボン賞主演女優賞を受賞。

舞台でも意欲的に活動。「にごり江」「恐怖時代」「草迷宮」(蜷川幸雄)、「夜叉が池」「芍薬の歌」(井上思)、「憎いあんちきしょう」(久世光彦)他、そうそうたる演出家に愛された。浅丘ルリ子は、大劇場に客を呼べる数少ない女優のひとりである。

01年の篠原哲雄監督・映画「木曜組曲」では、生前もその死後も残された5人の女たちに影響を与え続ける耽美派女流作家を圧倒的な迫力で演じた。

女優生活47年の02年秋の叙勲で芸術・学術分野を対象とした紫綬褒章を授章。

02年11月~12月、東京北品川・天王洲アイルのアートスフィアで上演された舞台・宮田慶子演出「伝説の女優」で木の実ナナと共演し絶賛を博す。

03年2月の日生劇場の舞台、谷崎潤一郎作「恐怖時代」で稀代の悪女、お銀の方を好演。

そして、今年(04年)7月2日、木の実ナナとの共演による「伝説の女優」の再演(3~14日)のため、アートスフィアで舞台稽古が行われた。

--この日が誕生日の浅丘(64)は「けいこ前にみんなに祝っていただき、うれしいですね」。「伝説-」は犬猿の仲の2人の女優に共演話が舞い込み、激しいバトルを繰り広げるコメディー。先日、女性週刊誌に、新曲でデュエットした大衆演劇出身の俳優松井誠(44)が新恋人と報じられたが、、浅丘は「CDの宣伝で(週刊誌に)出ただけなんです。今は(恋人は)いません」と否定した。2年ぶりの再演で、木の実は「前回よりグレードアップし、女の戦いのすごさが描かれている」と自信満々だった。--
(7月3日、日刊スポーツ)


昭和30年代、浅丘ルリ子は日活のトップ女優として抜群の冴えた演技力を発揮した。そして、青春期の私のハートを熱く捉えた。その頃の鮮烈なイメージは今も心に残る。
現役のトップスターとして今も活躍を続けている浅丘ルリ子。ますますの発展を期待する。



   『私にとっての学校でした』   浅丘ルリ子

<キネマ旬報、にっかつ創立80周年記念特集 1992年9月上旬号より>

私は本当は歌手になりたかったんですが、日活が「緑はるかに」で少女役を募集している事を知った知人が応募してしまったと言うのが女優としての私の始まりです。
オーディションに合格したのは北條誠先生の原作とイメージが近かったからで、先生自らメイクしてくれた事を覚えてます。当時の日活の女優陣は月丘夢路さん、新珠三千代さん、南田洋子さん、北原三枝さんが大スターで子役というのはあまりいませんでしたから皆さんにずいぶん可愛がってもらいました。中学生でしたけれど勉強はあまり好きでなかったので学校に行ってるときよりも楽しかったです。スターやスタッフの人たちに囲まれて毎日が遠足みたいでした。
日活作品だけでも百三十本くらい出演してますから何本か挙げるのは難しいんですが、「憎いあンちくしょう」「何か面白いことないか」「愛の渇き」などはとても好きです。
三本とも自分が演じたヒロインに魅力がある映画で、そのヒロインが好きになって一生懸命取り組んだからこそ今でも忘れられないのだと思います。
俳優も監督も皆若くて元気ハツラツとしていてあのエネルギーというのは凄かったですね。
その核になっっていたのは裕次郎さんですが彼は嫌なところが全く無い人で、私は今でもあんな人見たことがありません。共演作は旭さんの方が多いんですが、彼は少年のように一本気なところがある人です。私にとって日活というのは、人生の大切なことを教えてくれた学校のようなところです。



(リンク)
浅丘ルリ子(カラント)
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伝説の女優





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