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zoom RSS 世界の建築様式 〜 7.ゴシック編

<<   作成日時 : 2010/04/29 22:44   >>

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世界の建築様式

7.ゴシック編

 パリ中心部を、ロワール川に次ぐフランス第2の大河「セーヌ川」が流れている。そのセーヌ川に「シテ島」という中州がある。パリの歴史が始まった場所である。シテ島に、ゴシック建築を代表する建物が建っている。パリのシンボル「ノートル・ダム・ド・パリ(Cathedrale Notre-Dame de Paris)」。日本語で「ノートル・ダム大聖堂」という。

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ノートル・ダム大聖堂の魔除けの怪獣
セーヌ川を望む
Picture from Tabi-Taro
 
 ノートル・ダム大聖堂に「キマイラの回廊」という回廊がある。別名「シメールのギャラリー」という。回廊は聖堂の向かって左側の北塔と右側の南塔を結んでいる。「キマイラ」(Chimaira)はギリシャ語であり、ギリシア神話に登場する架空の怪物のことである。英語では「カイメラ」(Chimera)、フランス語では「シメール」(Chimere)という。そのキマイラの回廊に怪物像がある。上の写真の像である。その像の名を、フランス語で「ガーゴイル」(Gargoyle)という。ノートルダム大聖堂のガーゴイルは、シメール(キマイラ)なのだ。回廊からパリの街が一望に見渡せる。ガーゴイルはここからパリの街を、毎日見ているのだ。ガーゴイルは、悪霊を外に吐き出す浄化の役割と悪霊の侵入を阻む守護神の役割を担っている。一方、この怪獣は、現れるたびに大津波さながらの水を吐き出すために、ガーゴイルは『大酒飲み』という意味でも呼ばれ怖れられてきた。水害防止や酔害防止?を、パリ市民に呼びかけているようだ(!?)。
ノートル・ダムの魔除けの怪獣
 伝説によると、セーヌ河畔の洞窟にガルグイユ(フランス語のガーゴイル)という名の竜が住んでいた。竜 は舟人達を飲み込み、口から出す炎で全て焼き尽し、洪水を引き起こすほどの水を吐き出した。セーヌ河畔のノルマンディーの首都ルーアンの町の住人達は竜をなだめる為に毎年生きたままの人間を生贄に差し出していた。竜は処女を好んだが、罪人で済む場合もあった。520年頃ロマヌスという司祭がルーアンにやって来て、町の住人が洗礼を受けて教会堂を建てる約束をすれば怪獣を追い払うと言った。ロマヌスは重い罪人を伴い、竜と対決して捕え、薪で燃やしたが頑強な頭と首だけは燃え残った。そこで人々はそれを町の城壁にさらした 。これを基にしてガーゴイルが作られたとも言われる。なお、ガーゴイルには様々の意味が付されているが、中心となるのは悪霊から大聖堂を守護し、水を 吐き出すという行為により、そこから悪霊を追い出し、人々に罪を犯すことの恐ろしさを警告することである。

 セーヌ川の源泉は、フランス北部に聳えるタスロ山(海抜471メートル)の奥深い山中にある。タスロ山を出発したセーヌ川は、ブルゴーニュ、シャンパーニュを流れ、ワインやシャンパンの産地を潤していく。そして約300キロほど旅したところで出会うのがパリの街だ。セーヌ川は、広大なパリ盆地を緩やかに蛇行を繰り返しながら流れ、やがて、第二次世界大戦で西ヨーロッパをナチスから奪還すべく連合軍が果敢に戦った激戦地ノルマンディで旅を終え、英仏海峡に注ぐ。全長774キロメートルの大河である。

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ノートル・ダム大聖堂の鐘楼の上からセーヌ川を望む
Picture from Tabi-Taro


 パリの起源は、紀元前3世紀頃にシテ島を中心とする湿地帯で生まれた「ルテティア」という名の集落である。当時ここで暮らしていたのは、漁業を生業としていたケルト系ガリア人部族のパリシィ人だ。ルテティアと呼ばれていた集落は、パリシィ人に由来して「パリ」と呼ばれるようになった。また、パリシィ人が話していたラテン語の一方言は、後ちにフランス語の基礎ともなった。

 紀元前58年から紀元前51年にかけて、古代ローマのガリア地区総督ユリウス・カエサル(Julius Caesar、英語読み:ジュリアス・シーザー)は、ガリア(現:フランス、ベルギー、スイス等)に遠征して、その全域を征服し共和政ローマの属州とした。このときの一連の戦いを「ガリア戦争」という。「ルテティア」は、ガリアの中北部の川中の砦であり、パリシィ族とセークァニー族がその周辺を押さえていた。この「ルテティア」がパリの前身。今のシテ島である。パリシィ族からパリの名が生まれ、セークァニー族の名はセークァナ川となり、それが現在のセーヌ川になった。

 パリシィ人のささやかな集落ルテティアを都市に発展させたのは、ローマのカエサルである。紀元前52年、ルテティアはカエサルによって征服される。ガリア攻撃のためガリア人部族の首都アレシア遠征中のカエサルは、ガリア人の集落を攻略してローマ風の都市を築いていった。このときルテティアはカエサルに征服されてローマの支配下に入った。この戦闘を取り巻く状況については、カエサル著『ガリア戦記』(講談社学術文庫、國原吉之助訳)に詳しい。その後、ローマによってルテティアはシテ島とセーヌ川の左岸(南側)に拡大され、ローマの植民都市パリが建設された。

 続いて486年、ガリアの地の新しい支配者となったのは、ゲルマン民族の大移動後、この地にフランク王国を建国したゲルマン民族の一派・フランク人だ。なお、現在のフランス人は、ローマ化した先住ケルト人であるガロ・ロマン人を母体とし、ゲルマン系のフランク人等が混血した民族だと言われている。

 パリは508年からフランク王国の首都とされ、華々しい発展を遂げる。フランク王国が最盛期を迎える9世紀には、すでに2万5000人ほどの人口を擁するまでに成長していた。フランク王国は、それから間もなく東フランク王国、西フランク王国、中部フランク王国(ロタール王国)の3つに分裂され、ドイツ、フランス、イタリア各国の誕生の元になった。現在のフランスにあたるのは、西フランク王国である。西フランク王国では、9世紀後半からノルマン人が侵入して略奪を繰り返すのだが、この時にパリ防衛で活躍した諸侯、パリ伯ユーグ・カペーがフランス王になる。これがカペー朝である。10世紀以降のカペー朝のとき、「フランス王国」として統一され、次第に王権を強めた。

【ノートル・ダム大聖堂】
 はるか昔にパリの礎を築いたパリシィ人が、シテ島に残しているかすかな足跡が、ノートル・ダム大聖堂だ。ノートル・ダムの敷地は、6世紀初頭、かつてのパリシィ人がシテ島で古代ケルトの神を祀っていた場所である。ローマ時代には、ローマ神話の主神ユピテルの神域であったが、ローマ帝国崩壊後、キリスト教徒はこの地にキリスト教の聖堂を建設した。そしてこの聖堂を新たに作り直したのが、現在もシテ島に聳えるノートル・ダム大聖堂なのである。初期ゴシック建築の最高傑作であるとされる。
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ノートル・ダム大聖堂 外観
Picture from Tabi-Taro


 「ノートル・ダム」(Notre-Dame, 英語ではOur Lady) とは、フランス語で「私達の貴婦人」という意味で、「聖母マリア」のことである。建物は「聖母マリア」に捧げられた寺院であることから、日本語で「 ノートル・ダム大聖堂」と呼ばれる。「ノートル・ダム寺院」と呼ばれる場合もある。

 ノートル・ダム大聖堂は、「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。パリ・カトリックの総本山であり、パリの最も重要な宗教建築である。

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ノートル・ダム大聖堂  外観
Picture from Tabi-Taro


 フランス各地には、シャルトルのノートル・ダム大聖堂やランスのノートル・ダム大聖堂、アミアンのノートル・ダム大聖堂など、ノートル・ダム大聖堂という名前の大聖堂がいくつかある。シャルトルの大聖堂はパリからおよそ南西80kmほど離れた都市シャルトルにある。また、ランスの大聖堂はフランス北東部の地域圏、シャンパンの生産地として世界にその名を知られるシャンパーニュ・アルデンヌ地方にある。アミアンの大聖堂はパリ北駅から電車で約1時間少々のところにあるアミアンの町にある。パリのノートル・ダム大聖堂は、ノートル・ダム大聖堂の代表的存在であり、フランス・ゴシック建築の傑作の一つである。普通、ノートル・ダム大聖堂というと、パリのノートル・ダム大聖堂を指す。(以下、パリのノートル・ダム大聖堂のことを、単にノートル・ダム大聖堂と表記する。)

 ノートル・ダム大聖堂は、フランス国王ルイ7世の治世である1163年に建設が始められた。ファサード(建築物の正面の外観)を構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールト(丸天井)を支えるフライング・バットレス(飛梁:とびばり)は12世紀に現様式に取り替えられた。ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものである。起工から約200年の歳月を費やして1345年に竣工した。

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ノートル・ダム大聖堂  正面
Picture from Tabi-Taro


 ノートル・ダム大聖堂は、「バラ窓」と呼ばれる3つの美しいステンド・グラスでも有名だ。バラ窓とは、ゴシック建築において、ステンド・グラスで作られた円形の窓のことをいう。大きな窓、ステンド・グラス、空に伸びた尖塔は、中世のゴシック建築でも最高の技術により可能となったもので、壮麗のひと言に尽きる。はるか頭上まで連なる原色の光の洪水は、中世ゴシック建築が到達した一つの極致ともいえる。

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ノートル・ダム大聖堂のステンド・グラス 「バラ窓」
Picture from Tabi-Taro

(用語解説)ステンド・グラス
中世のキリスト教教会堂、特にゴシック聖堂の窓にはめられた装飾ガラス。
金属酸化物の顔料で着色し、グリザイユ(黒褐色の釉)で輪郭線や陰影を施して焼き上げたガラス片を断面がI字形の鉛縁で接合したもの。聖書や聖人の伝記に取材した絵が描かれ聖堂内部を壮麗にいろどった。
ステンド・グラスの技法はカロリング朝の色ガラスに原形が見られ、12世紀初めころにほぼ完成。壮大な窓をもつゴシック建築が盛んになり始めた12世紀中ごろから全盛期を迎え、フランス、イギリス、ドイツで特に愛好された。

 しかし実は、現在のステンド・グラスは19世紀に行われた修復工事によって蘇ったものだ。18世紀中ごろ、ルイ15世が「暗い」というだけの理由で、このステンド・グラスを全て無色透明なガラスに替えさせていたのである。この国王は同時に、輿に乗ったまま中へ入れないという理由で大聖堂の入口を無理に広げさせてもいる。さらに、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑された1793年のフランス革命では、西正面に飾られていた諸王の彫像が引きずり落とされた。こうした破壊行為によって、パリ市民の足はノートル・ダム大聖堂から遠ざかっていく。訪れる者の減った大聖堂は、ますます荒廃を深めていった。

 ところが、19世紀になって、1冊の本がノートル・ダム大聖堂の運命を変える。それは、『レ・ミゼラブル(ああ無情)』で知られるフランスの文豪ヴィクトル・ユゴー(ビクトル・ユーゴー)が1831年に発表した『ノートル=ダム・ド・パリ』だ。小説の中では、1830年のフランス七月革命に沸き立つパリの民衆を、中世の世界に置き換えている。ゴシック建築の華であるパリのノートル・ダム寺院を舞台に、暗黒の中世社会と群集たちを生き生きと描いている。パリ市民は、この本によってパリの貴重なモニュメントを思い出したのである。そこで、1845年から20年以上に及ぶ大規模な修復工事が行われたのだ。

YouTube映像 パリのノートルダム大聖堂
Notre Dame Cathedral Paris France
http://www.youtube.com/watch?v=2vKEAQ3Cghc&feature=related


 なお、この小説は1956年に映画化された。題名は同じく『ノートル=ダム・ド・パリ』(NOTRE-DAME DE PARIS)。邦題は『ノートル・ダムのせむし男』として上映された。ノートル・ダム大聖堂を舞台に、美女をねらう邪悪な僧正と、彼女を助ける鐘撞き男の相克を描く。美しく艶やかに躍り歌うジプシーの娘エスメラルダを、持ち前の美貌とグラマーな肉体を生かして、イタリア発の国際派美人女優ジーナ・ロロブリジーダが演じ、生まれつき骨格の奇なる醜い男性カジモドを、映画「道」「ナバロンの要塞」「アラビアのロレンス」などで異彩を放っ た名優アンソニー・クインが演じた。

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映画「ノートル=ダム・ド・パリ」より
せむし男を演じるアンソニー・クインと、ジプシーの娘を演じるジーナ・ロロブリジーダ


 ここで、一息ついて、映画「ノートル=ダム・ド・パリ」の1シーンから、ノートル・ダム大聖堂の前で美しく艶やかに躍り歌うジプシーの娘エスメラルダを演じる絶世の美女ジーナ・ロロブリジーダの踊りを見てみよう。ジーナ・ロロブリジーダは、現在は80歳を過ぎているが、29歳当時の妖艶な姿でのMOVIEである。

ジーナ・ロロブリジーダ Dance La Esmeralda
Notre Dame de Paris 1956 - Dance La Esmeralda
Gina Lollobrigida
http://www.youtube.com/watch?v=FWzPdoS5myc

ゴシック建築
 「ゴシック」とは「ゴート族風の」という意味で、もともとは「北方の野蛮人ゴート族風に、ゴテゴテしていて醜悪極まりない」と悪い意味の言葉だったが、今ではゴシックは悪口でも何でもなく、一つの時代様式を表す用語として定着している。

 ゴシック建築は、12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式である。中世ヨーロッパでロマネスク建築に次いで興ったキリスト教会建築である。ゴシック様式はロマネスク様式が天に向かって背伸びしたような様式と言える。

 ゴシック建築(Gothic Architecture)は、北フランス一帯において着実に発展していた後期ロマネスク建築のいくつかの要素を受け継ぎ、12世紀後半から花開いた北フランスを発祥とする建築様式である。

 ゴシック建築の歴史的区分としては1150年頃から1500年頃までの時代を指す。地理的には、発祥地フランス王国(フランス)からブリテン島(スコットランド、イングランド、ウェールズ)、スカンディナヴィア半島(ノルウェー、スウェーデン、およびフィンランドのラップランド)、ネーデルランド(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)、神聖ローマ帝国(ドイツ、イタリア北部、オランダ、スイス、オーストリア、フランス東部辺り)、イベリア半島(スペイン、ポルトガル)、イタリア半島(イタリア、サンマリノ、ヴァチカン)、バルカン半島西部沿岸部(クロアチア)に波及していった。その背景には、市民階級の成長に伴う都市の勃興があった。

 しかし、これら歴史的・地理的条件が必ずしも相互に対応しないという点や、建築の形態的・技術的要因、図像などの美術的要因の定義づけが難しいという点で、他の建築様式に比べるとかなり不明瞭な枠組みであると言わざるをえない。一般にゴシック芸術と呼ばれているものに一貫して用いられる形態的、図像学的な特徴はなく、実際にはゴシックとは、芸術史家たちによって慣習的に使用される概念である。今日においても、ゴシック建築の定義づけが行われているが、その議論は多角的かつ複雑である。

ゴシック建築が最初に登場したのは、パリ郊外のサン・ドニ修道院付属教会堂(Basilique de Saint-Denis)の内陣改装工事(1140年着工、44年完成)においてである。北フランス一帯において着実に発展していた後期ロマネスク建築のいくつかの要素を受け継いで着工された。ゴシック建築が最初に大聖堂に採用されたのは、パリから約120キロ東南のサンスのサン・テチエンス大聖堂の改築工事(1140年頃着工、68年頃ほぼ完成)においてである。

 ゴシック様式は、高い尖塔とリブ(肋骨)を利用したヴォールト(丸天井)をもち、薄い壁とステンド・グラスの広い窓によって、軽快さと垂直・上昇への志向を感じさせるのが特徴である。
 建築上の観点から見た場合、ゴシック様式の教会建築の特徴は3つある。
 第一の特徴は、昇高性をアピールする先の尖ったアーチ、つまり「尖頭アーチ」が天井に使用されていることだ。
 第二の特徴は、側壁に縦長の大きな窓が開けられていることである。この窓のおかげで堂内に光が大量に入ってくるわけだが、しかしその光は外光そのものではなく、ステンド・グラスの濃厚な色彩を通過した低明度の神秘的な光だ。従来のロマネスク様式では小さな窓しか設けられていなかったのに比べると大きく違う点である。
 第三の特徴は、「飛梁(とびばり:フライイング・バットレス)」と「控壁(ひかえかべ:バットレス)」の使用である。
 これらは、堂内の柱を外側から支える石の角ばったアーチおよび柱で、カニの足のように外壁からせり出し、ゴシック教会堂の外観を決定的にグロテスク(異様な景観)にしている。しかしこれらのおかげで、堂内の柱は細身でも石造り天井の重みを支えることができるようになったのだ。

 ゴシック様式の代表的な建築に、下記のものが挙げられる。
  ・パリのノートル・ダム大聖堂(フランス)
  ・アミアンのノートル・ダム大聖堂(フランス)
  ・ランスのノートル・ダム大聖堂(フランス)
  ・シャルトルのノートル・ダム大聖堂(フランス)
  ・ケルン大聖堂(ドイツ)
  ・シュトラスブルグ大聖堂(ドイツ)
  ・フライブルク大聖堂(ドイツ)
  ・カンタベリ大聖堂(イギリス)
  ・ウェストミンスター大聖堂(イギリス)
  ・シエナ大聖堂(イタリア)
  ・ミラノ大聖堂(イタリア)

リンク:ノートル・ダム・ド・パリ
http://www.hayakoo.com/cathedrale-notre-dame-de-paris/
リンク:シテ島周辺
http://www.tanjima.com/paris/cite.htm


【サント・シャペル礼拝堂】
 ノートル・ダム大聖堂と並んでシテ島を有名にしたのが、サント・シャペル礼拝堂(Sainte chapelle)だ。「聖なる礼拝堂」という意味で、キリストの聖遺物を安置するためルイ9世が建立したゴシック様式の礼拝堂である。1245年に着工され、わずか33ヶ月という短期間で行われ1248年に完成した。内部は2階建てになっており、1階は臣下のための礼拝堂、2階は王の礼拝堂となっている。


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宝石箱のような サント・シャペル礼拝堂
Picture from Tabi-Taro


 礼拝堂の美しさに、訪問者は驚かされる。"2階の礼拝堂の美しさは息をのむばかりである。ステンド・グラスには新旧聖書のエピソードがちりばめられ、それらのあいだには十二使徒たちの彫像が並んでいる。色大理石をふんだんに用いた床、青地を基調とした美しい四分ヴォールトの天井、そして全体を取り囲むステンド・グラスの煌めきは、まるで宝石箱の中にいるかのようだ。" と形容される。ゴシック建築が最も輝かしい時期の頂点ともいえる傑作である。

【シャルトルのノートル・ダム大聖堂】
 パリの南西88キロのところにある町、フランスの古都シャルトル。パリ・モンパルナス駅から列車で1時間。シャルトル駅に列車が近づくと、麦畑の彼方に聳える2本の尖塔が見えてくる。なかなかドラマチックなシャルトルへのアプローチだ。
 彫刻家ロダンが "フランスのアクロポリス" と称した、この大聖堂の2本の尖塔は、右がロマネスク、左がゴシックと不揃いなのがユニーク。

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ロダンもびっくり、シャルトル大聖堂
Picture from Tabi-Taro


 大聖堂の名前を、シャルトルのノートル・ダム大聖堂(略称:シャルトル大聖堂)という。シャルトル大聖堂は、フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えらており、ヨーロッパを代表する宗教建築最高傑作のひとつである。世界の建築美術の中でも大傑作のひとつに数えられる。
 塔の左右の様式が異なるのは、建てられた時代が違うからである。向かって右がロマネスク様式の「旧鐘塔」、左が新築されたゴシック様式の「新鐘塔」である。

 シャルトル大聖堂は、1145年にロマネスク様式の寺院として建てられたものであるが、1194年に大火にみまわれ、シャルトルの町全体と西側のファサード(正面入り口)付近を残し焼き尽くされた。大聖堂は大火の後、再建された。1210年には身廊が再建され、1230年頃にはおおよその完成をみた。向かって右側のロマネスク様式の旧塔はその時に建てられたものである。その後再建は滞り、左側のゴシック様式の新塔が建てられたのは16世紀になってからである。再建されたシャルトル大聖堂はフランスのゴシック芸術の頂点を示している。
 盛期ゴシックの最高傑作と呼ばれるこの大聖堂は、ランとパリのノートル・ダム大聖堂を踏襲した平面(袖廊はラン、二重周歩廊はパリ)をもっているが、内部はかなり独創的な空間になっている。

 シャルトル大聖堂はステンド・グラスの宝庫としても知られており、青みがかったステンド・グラスの美しさは「シャルトルの青(シャルトル・ブルー)」と言われ世界中に知られている。

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シャルトル大聖堂のステンド・グラス
Picture from Tabi-Taro

 とくにファサードのバラ窓や、キリストの家系図を示す「エッサイの根」のシャルトルブルーは、その芸術性が高く評価されている。中でも入って右奥にある「美しき絵ガラスの聖母」の肩あたりの青は、現在の技術でもなかなか出せないといわれている。夏には、シャルトルの町全体がライトアップされる。

【ケルン大聖堂】
 「ケルン大聖堂」はドイツ・ケルン市のシンボルだ。ライン川左岸の旧市街の上に雄々しく聳えたっている。
 尖塔の高さ157メートル、堂内の奥行き144メートル、ステンド・グラスの総面積1万平方メートルという世界でも最大規模を誇る中世ゴシック様式の代表的建築物である。

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ケルン大聖堂
Picture from Wikipedia


 着工は1248年のこと。1322年に内陣部は完成したが、16世紀に入って宗教改革を発端とする財政難から1559年に工事が中断し、正面のファサードの塔が一つしかない状態が続いた。建設中断から3世紀近くたった19世紀の1842年になって、14世紀初期のオリジナル図面が見つかり、それをもとに建設が再開された。そして、1880年にようやく完成。足掛け632年もかけて建設された大聖堂なのだ。
 1310年〜1322年に作られた内陣は、フランスのアミアン大聖堂(アミアンのノートル・ダム大聖堂)の影響を受けており、フランスを凌駕するほど壮麗な装飾がある。
 堂内には、ドイツ南部バイエルンの王ルートヴィヒ1世が奉納した、「バイエルンの窓」といわれるステンド・グラスがあり、「聖霊降臨」などの聖書の物語が描かれている。

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ケルン大聖堂のステンド・グラス「バイエルンの窓」


 聖歌隊席の奥は祭壇になっていて、「マギの遺物」が納められた12世紀頃の金細工棺が祀られている。周歩廊の南側の脇には、ケルン派の画家シュテファン・ロホナーによって1440年に描かれた「マギの礼拝」の祭壇衝立、976年にケルンのゲロ大司教の手で作られたキリストの十字架「ゲロクロイツ」などが納められている。
 これだけの中世ゴシック建築が現存するのは、長い間建設が中断されていたから。その間、聖堂改築の嵐が吹き荒れたが、それを避けて再現できたのである。

【セーヌの河畔、シテ島の散策、パリの都市計画】
 シテ島からセーヌ右岸に渡ると、ルーブル美術館、コンコルド広場、そして凱旋門といった観光名所が一直線に並んでいる。こうした名所が点在する一帯は、17世紀半ばにルイ14世がルーブル宮殿を再建したころから発展した。
 パリ西部にあたるその部分を地図で眺めてみよう。

  地図 http://chizuz.com/map/map5235.html
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パリ・シテ島付近のGoogleMap


 シャンゼリゼ通りを含む12本の大通りが凱旋門から放射線状に伸びているのが目につく。これは19世紀後半、ナポレオン3世の治世下で行われた壮大な都市計画によって生まれた景観だ。

 都市計画以前のパリ西部は、入り組んだ道路が迷路のように連なる街だった。そこでナポレオン3世は、当時セーヌ県知事だったジョルジュ・ユージン・オスマンに命じてパリの大改造を行ったのである。その結果、パリ西部にあった住居の約半分が破壊されることになった。都市計画の目的は、現在の都市計画と同じく運輸の効率化と都市の活性化を図るためとされている。

【ポンピドゥー・センターなど、新たなパリの景観】
 19世紀に生まれ変わったパリは、近年また新たな景観を作り出している。国立近代美術館を擁するポンピドゥー・センター、ルーブル美術館の中央入口として建てられたガラスのピラミッド、そして凱旋門と対峙するようにして立つ新凱旋門などだ。こうした建築の設計にあたって、中国系アメリカ人建築家イェオー・ミン・ペイ、あるいはイタリア人建築家レンゾ・ピアノといった海外の才能を起用している点も注目される。2010年、フランス北東部の都市メス(Metz)に分館としてポンピドゥー・センター・メスが開館予定である。設計は、日本人建築家坂茂とフランス人建築家Jean de Gastinesのグループが手掛ける。また、中国の上海、盧湾区に分館を開設する計画も進行している。
 ヨーロッパの文化と芸術の中心として栄えたパリは、21世紀においても新たな歴史を綴ろうとしているようだ。ポンピドゥー・センターは、その構造や設備配管等をそのまま見せることによって新しい表現を獲得したことはゴシック様式になぞらえて評判になった。

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ポンピドゥー・センター
ポンピドゥー・センターは、パイプの塊の建物。
近未来をコンセプトにしたような美術館だが、
もう建造からだいぶたって街並みに溶け込んでいる。


【東京都庁 第一庁舎】
 2005年1月に他界した日本の近代建築の巨匠、丹下健三はゴシック建築をこよなく愛し、パリのノートル・ダム大聖堂から強い影響を受け、新宿の東京都庁新庁舎の設計に引用している。
 1986年4月に丹下健三(構造設計は武藤清が担当)の設計案が選ばれ、1991年4月1日に丸の内の旧庁舎から移転し、都庁 としての業務をスタートした。

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東京都庁 第一庁舎
Picture from Wikipedia


映画【ノートル=ダム・ド・パリ】
 1956年 フランス
 原題:Notre-Dame de Paris
 邦題:ノートルダムのせむし男
 原作:ヴィクトル ユゴー
 監督:ジャン・ドラノワ
 出演:ジーナ・ロロブリジーダ(エスメラルダ)、
    アンソニー・クイン(カジモド)、
    アラン・キュニイ(フロロ)

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映画「ノートル=ダム・ド・パリ」でエスメラルダを演じるジーナ・ロロブリジーダ 1956



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MyPage リンク: 世界の建築様式 6.ロマネスク編 
              http://matiere.at.webry.info/201003/article_5.html
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                (参照資料/引用資料)
                  詳説 世界史研究」 山川出版社
                  「西洋建築様式」 美術出版社
                  「ふしぎ歴史館 世界遺産 30の謎の痕跡 巻ノ二」青春出版社
                  「ゴシックとは何か 大聖堂の精神史」講談社現代新書

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