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<<   作成日時 : 2010/02/27 19:38   >>

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世界の建築様式

2.古代エジプト編

 古代エジプトと聞いて、まず思い浮かべるのは何か。ツタンカーメンの黄金マスク、絶世の美女クレオパトラを連想する人もいるだろう。しかし、いちばん多いのは、ピラミッドではないだろうか。それほどピラミッドは見る者を惹きつけてやまない魅力を持っている。

 1798年5月、馬1200頭、171門の火砲に、人員35000人にも及ぶ大軍が、フランスから一路エジプトヘと向かった。世に名高い、ナポレオンのエジプト遠征の始まりである。率いるは29歳という若さのフランス軍司令官ナポレオン・ボナパルト。

ナポレオンのエジプト遠征

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ギザのピラミッド
ナポレオン ピラミッドの戦い
(画:アントワーヌ=ジャン・グロ)


 フランス軍が大ピラミッドを一望する地点に到達した時、ナポレオンが発した。
「諸君! 4000年の歴史が君たちを見下ろしているのだ!」
 ナポレオンはピラミッドを前にして、圧倒されて息を呑み言った。
「この建築物は偉大だ。時の流れや天変地異に挑んできた」

 ピラミッドはナポレオンを驚愕させた。古来、ピラミッドは、その偉大さと神秘さゆえに、「世界の七不思議」の筆頭にあげられてきた。ピラミッドは、メソポタミアの階段状の聖塔「ジッグラト」に影響を受けた建造物だともいわれている。イスラム文明や東方文明がもつ神秘性は、ヨーロッパ人にとって、尽きせぬ憧れの的でもあった。そしてナポレオンは今、そのエジプトの地に立っていた。

 彼はこの日のために、通常の海外遠征とは比較にならないほど多くの学者を随行していた。その数167名、団長格の幾何学者フーリエ(フーリエ級数の提唱者)をはじめとして第一線の研究者が名を連ねている。これほど多くの研究者を随行させたのは、ナポレオンがこの古代の叡智を入手しようともくろんでいたためだ。

 ナポレオンはピラミッドの中で1人で一晩過ごしたと言われている。この一夜で、ナポレオンは数千年のエジプトの文化、叡智を手に入れたのである。

 「ピラミッド」とは、ギリシア語で「ピラミス」という三角形のパンのことを示していたようだ。エジプトではピラミッドを示す言葉はいくつかあったようだが、一例では「メル」と言い、古代エジプトでは象形文字ヒエログリフで「△」と示された。

 神秘に満ち溢れる国、エジプト。そこでは古王国時代に築かれたピラミッドや神殿建築が、当時の建築技術の高さを現在に伝えている。蘇生を信じた古代エジプトのファラオたちはミイラとなり、蘇るまでの仮の住まいとして、莫大な秘宝と共にピラミッドに埋葬された。
 古王朝時代、国王と神は同格とみなされ、霊魂の不滅と来世の確信という宗教に基づき、ピラミッドを築き死体をミイラとして残し、副葬品を伴わせた。

 エジプトには大小80あまりのピラミッドが今も残されている。今から4500年余り以前に建造されたというこの巨大な石造遺跡には、あまりにもミステリアスな点が多い。

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ギザのピラミッドとスフィンクス
Picture from tabi-taro


 世界最大のピラミッドは、ナイル川の河口付近、カイロ南西、下エジプトのギザにある「クフ王のピラミッド」である。ピラミッド建築の頂点とされるのもので、底辺230.4メートル、高さ138.8メートルの規模を持つ。世界の七不思議で唯一現存する建造物である。七不思議の遺跡とは、バビロンの空中庭園、オリンピアのゼウス像、ロードス島の巨人像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、エフェソスのアルテミス神殿、バビロンの城壁(後にアレクサンドリアの大灯台と交代)、そしてギザのピラミッドである。このうち現存するのはギザのピラミッドだけになってしまった。

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<ギザの3大ピラミッド>
第1ピラミッド(クフ王)=最大のピラミッド
第2ピラミッド(カフラー王)
第3ピラミッド(メンカウラー王)


 「クフ王のピラミッド」は、エジプト古王朝時代第4王朝のファラオであるクフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられている。ここにはクフ王に続く3人の王がみずからの生涯を賭けてピラミッドを建造した。クフ王の次男カフラー王のピラミッドと孫メンカウラー王のピラミッドである。それがギザの三大ピラミッドだ。エジプト古王国時代、紀元前2500年頃に築かれており、建築した王の名をとってクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドと呼ばれている。クフ王のピラミッドは、1880年にケルン大聖堂(ドイツ)が完成するまで世界でもっとも高い建築物であったようだ。これは約4,400年もの間、世界最高に君臨していたことを意味する。ピラミッドの起源は紀元前2650年頃のジョセル王の階段ピラミッドだが、ギザにある三大ピラミッドは、その百年後の紀元前2550年頃の造営とされている。

 エジプトの世界遺産・ギザの大ピラミッドは、ナポレオンの遠征以来、数々の驚異と謎が世界を魅了してきた。エジプト建築の粋を集めたギザのピラミッド。世の中にこれほど見事なランドマークがほかにあるだろうか。砂漠の中に屹立する3基の四角錘の姿は、まさに圧倒的。人類史上最も有名な建造物であるといっていいだろう。

 どれだけの時を重ねてもいっこうに「謎」が尽きないピラミッドは「人類が作り出した最もミステリアスな建造物である」と言っていいだろう。謎が謎を呼び、これからも限りなく考古学者を悩ませ、人類を魅了し続けることだろう。

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ピラミッドとラクダ
Picture from tabi-taro


古代エジプトの不可思議な技術

 ピラミッドの各寸法には不思議な関連がある。大ピラミッドは、数学の原理を形に表した一大記念物といえよう。
ただ、ピラミッドの数値は、今の科学技術などによって判明したことなので、古代エジプト人々がどのようにそれらの数値を導き出したのかは謎である。のちのギリシャでもローマでも、建築物が似たような概念で作られているところがあるため、現代数学とは別の計数法で生み出されたのか、とも思われる。

●黄金比(黄金分割)
 美術や建築、あるいはデザインの世界において、 その作品の美しさや安定度の後ろだてをする要素のひとつに 「黄金分割比」「黄金比」(Golden Rule)という比率がある。つまり、絵画や写真や建物の構図では、この黄金分割を守って構図や被写体の大きさを決めると綺麗に見えるという法則である。その数値 は、1:1.618とされている。正確にいうと、方程式「1+√5÷2」から導き出される値であり、1.6180339887....となる。この黄金比率の値は、万物の当てはまる法則であり、自然界で出来てくるものはすべてこの比率に沿った割合で、大きさが構成されている。

 黄金分割(golden section)と呼ばれるピタゴラスの発見した分割方法を幾何学で紹介する。
黄金分割の発見は正五角形と密接な関係を有している。
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図:黄金分割を与える正五角形

図に示す正五角形ABCDEを考え、対角線ADとBEの交点をPとする時、
四角形BCDPは平行四辺形になる。
  AB=CD かつ CD=BP
∴ AB=BP

また、二等辺三角形ABEと二等辺三角形EADは相似であるから、
∠ABE=∠AEB=∠EAD
∴ 三角形ABEと三角形PEAは相似である(二角相等)。
∴ AB:PE=BE:EA

AB=EA=BPゆえ、 BP:PE=BE:BP

BP:PE=BE:BPなる時、点Pは線分BEを黄金分割するといわれる。
同様に、正五角形のどの対角線も互いを黄金分割することが分かるであろう。
このBP:PE=BE:BPなる比は「黄金比」と呼ばれる。
⇒「黄金比」最も美しいとされる比。


 クフ王のピラミッドを例に挙げると、計測数値として、フリンダース・ピートリーの計測(1880年12月-1881年5月)が、現在も最も信頼できる数値と言われている。それによると、ピラミッドの各底辺の長さは、北辺230.25m、南辺230.45m、東辺230.39m、西辺230.35mとなっている。合計すると921.44mとなる。平均は230.36mである。頂点から底辺 までの斜面の長さが約184.8mであることから、斜面の長さを底辺230.36m の半分115.18m で割ると 184.8m/115.18m=約1.6044 となり、ほぼ黄金分割比をなしている。ピラミッドの頂上が崩れていない完成時には、高さが146.7mほどあって完璧な黄金分割比をなしていたのではないかと想像される。

 黄金分割は、視覚的に最も美しい幾何学的構成として、古代ギリシャで発見されギリシャの建築や美術に用いられてきたが、それより2000年も前のピラミッドに、これが使われていたのだ。人間にとって最も美しく安定した比率で、美しく見せるための基本的な条件なのだ。ミロのヴィーナスも腰で区切ると上下に1:1.618になるし、ギリシャのパルテノン神殿も高さと幅の比率が1:1.618になっている。
 現在のデザインにおいても基本とされており、例えばiPodのラインナップ3機種は、見事なまで黄金比を取り入れている。

●円周率(π)
 また、4つの底辺の長さの合計を高さの2倍で割ると、π(円周率)に非常に近い数が出る。これは言い換えれば、4つの底辺の合計は、高さを半径とする円周に等しい。
 大ピラミッドの場合、オリジナルの高さ146.7mと周辺の長さ92l.44mの比率は、円の半径と円周の比率と同じになる。つまり2πなのだ。ピラミッドの高さに2πを掛けるとピラミッド周辺の長さになる。
 高さについては、計算された時の高さは146.7mだった(45 〜 50 階建てのビルに匹敵する)。現在は頂上の石が欠損しているため、137.28mとなっている。
 クフ王のピラミッド)の底面の辺一周の長さを、高さの二倍で割ると、円周率(円周を直径で割った値)π=3.14159...の近似値が得られる。つまり、(底面の一辺×4)÷(高さ×2)≒π という式が成り立つ。
底面の長さは921.44m(平均230.36m)であり、高さは146.7mであるから、921.44÷(146.7×2)=3.1405...となって、確かにπにかなり近い値になる。

 この「発見者」はイギリスのジョン・テイラーで、ピラミッドの製作者は意図的にπの値をピラミッドに隠した、と主張した。グラハム・ハンコックは、『神々の指紋』(翔泳社 1996)で「パイ=πで知られる円周率は高度な数学には欠かせない」「定説によれば、紀元前三世紀にアルキメデスが人類で初めてπを3.14と正しく算出したことになっている」と述べてから、大ピラミッドと、中米テオティワカンの太陽のピラミッドが極めて正確なπの値を含んでいることに驚いている。ピラミッドの建設者は、本当にピラミッドにπの数値を隠そうとしたのだろうか? 

 πの値を知らなくてもピラミッド建設はできる。!
紙に縮尺を書いて実験してみよう。まず、ピラミッドの高さを半径とする円を描く。 次に、その円に沿って縄(ひも)をあてがい、余った部分を切り落とす。つまり、円周と同じ長さの縄を作る。 その縄を四当分する。 そして、四当分した縄の長さを、ピラミッドの底面の一辺の長さとする。 以上で、コンパス(杭と縄があればよい)と縄を使っただけで、πをピラミッドの中に潜ませることが出来たわけである。
 ピラミッドの高さ(半径)×2π=ひもの長さ(円周)=ピラミッドの底面の長さ、というわけである。

 なにしろ、πは円周を直径で割った値にすぎない。わざわざ意図しなくても、作図や測量で何か円形の機具を使っていれば、自然にπが含まれてしまう可能性があるのだ。πの値がピラミッドに隠されていたとしても、この数値が本当にπであったとしても、別にピラミッドの建設者が高度な数学的知識を持っていたことには全くならない。実は、πの値を全く知らなくても、それどころか、計算を全くしなくても、πが含まれるような作図をすることは出来るのである。 『神々の指紋』は、驚きすぎである。 ピラミッドの製作者がこのような設計をした、という根拠はないが、πを含ませるのに複雑な計算の必要など全くない、ということである。

 ピラミッドの幾何学的な主要要素は、いずれの場合も、地上から頂上までの高さと、地上における建造物周辺の長さだ。大ピラミッドの場合、オリジナルの高さ146.7mと周辺の長さ92l.44mの比率は、円の半径と円周の比率と同じになる。つまり2πなのだ。ピラミッドの高さに2πを掛けるとピラミッド周辺の長さになる。 クフ王のピラミッド)の底面の辺一周の長さを、高さの二倍で割ると、円周率(円周を直径で割った値)π=3.14159...の近似値が得られる。つまり、(底面の一辺×4)÷(高さ×2)≒π という式が成り立つ。逆算すると、
 146.7・2・3.14=921.44

 ピラミッドの(底面の一辺×4)÷(高さ×2)がπである、とする根拠は何もない。何かしらの偶然の一致である可能性が多分にある。そして、もし仮に、それが本当にπであったとしても、それを説明するために、神や宇宙人や超古代文明などといったものを持ち出す必要は、全くないのである。 

●計測術
 古代エジプト人にとって、計算はなくてはならないものだった。ナイル川の氾濫で、増水がある耕地はどのくらいの広さになるのか。また、そこからとれる農作物の収穫量はどのくらいなのか。農耕をはじめ人間が生きていくためには、計測術が重要だった。天文・気象を把握することは生活にとって重要なことであり、それらをきちんと把握することは、生活そのものであり、国家経済を支える基本だったのである。

 その計算は、ピラミッドや神殿といった巨大な建造物を造るときも、正確な計算が欠かせなかった。エジプト人たちは実際の土地の面積や体積を求める計算を習得していたと思われる。

 ところで、実際にピラミッドを作る際には、かなり長い距離を測る必要がある。定規で測るのは無理だし、縄や歩測では何かと不正確だ。そこで、この時に使われたと考えられているのが「計測輪」である。そして、この計測輪が原因でπがまぎれこんだ、と説明をつけることも出来るのだ。 考古学者で早稲田大学教授・吉村作治先生の著作『ピラミッド・新たなる謎』(光文社文庫 1992)の解説を見てみよう。
仮に古代エジプト人が直径1キュービット(0.524m)の計測輪を使ったとしよう。これを一回転したとき長さは、1πキュービット(0.524m×π)である。大ピラミッドの底辺は230.36mあるが、これは140πキュービットにあたる。つまり、計測輪を140回転された時に得られる長さなのである。
 一方、高さ146.7mのほうは、約280キュービットに相当する。高さの280キュービットを140πキュービットで割れば、円周率πを含む2πがえられるのも当然なのである。別に円周率という概念を知らなくても、計測輪を使って計測すれば、寸法に自然にπが含まれてしまうのだ。

 なにしろ、πは円周を直径で割った値にすぎない。わざわざ意図しなくても、作図や測量で何か円形の機具を使っていれば、自然にπが含まれてしまう可能性があるのだ。

●地球の縮図
 上記のように、大ピラミッドに用いられた測定単位は、「キュービット」という、肘から中指の先までの長さだが、不思議にもこのキュービットは、地球の中心から極地点までの距離の、ちょうど1000万分の1になっている。つまり地球の南北方向の半径が635万5373kmで、この1000万分の1の25.0265インチが、ちょうど1キュービットなのだ。
 じつは、我々が普通使っているメートル法も、地球の大きさを基にしたもので、1mは、フランス北岸のダンケルクを通る子午線の北極点から赤道までの距離を、1000万分の1にした長さなのだ。つまり、近代にできたメートル法と、4000年も前のキュービットは、同じ科学的発想から生まれたものだ。

 ギザの 3 大ピラミッドが地球、金星、火星を表しているという説もある。クフ王のピラミッドが地球を、カフラー王のピラミッドが金星を、メンカウラー王のピラミッドが火星を示すというのだ。
 さらに驚いたことに、近代になって、大ピラミッドのサイズと、地球のさまざまな寸法とが、科学的に対応しいることがわかった。まるで大ピラミッドが、地球全体の幾何学的構造の縮図のように・・・・・・。

 実際にクフ王の大ピラミッドは、「地球の縮図」といっていいほどに様々な地球の数字を秘めている。
大ピラミッドの基本的考えは、地球の北半球を表わそうというものだ。頂点は北極を示し、土台の周辺は赤道を意味する。だから周辺が、高さの2πなのだ。大ピラミッドの底辺の長さは、赤道の長さ40,076.51kmの43,200分の1。大ピラミッドは地球の北半球を表していて、その43,200分の1の縮図となっている。大ピラミッドの高さを 43,200 倍すると地球の極半径とほぼ一致する。 土台の周長を 43,200 倍すると、極周りの地球の全周と一致する。 4 隅に開けられたソケットと呼ばれる穴の周長を、 43,200 倍すると赤道周りの地球の全周と一致する。
 また、地球の比重は平均5.672で、ピラミッドの比重もまったく同じ。地球の重量は1兆トンの53億倍だが、ピラミッドの重量はちょうどその1000兆分の1。地球の平均海抜の138.8mとほぼ同じ。
 地球の平均海面は、大ピラミッドの底面に接する円の直径のちょうど2倍。地球の平均気温は摂氏20度だが、ピラミッド中心部の「王の間」の気温もそれと同じ。というように・・・・。

 もしこの説が正しいとすると、「地球が丸い」ということだけでなく「地球が楕円体である」ということを当時の人々が知っていたことになる。なんとも不思議な話である。

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地球の43200分の1の縮図
(大ピラミッド 通路、通気孔、部屋の詳細)
Picture from tabi-taro


●計算機
 大ピラミッドの高さと周辺の比率2πを実現するためには、斜面の傾斜を52度という面倒で難しい角度にしなければならない。45度の角度にすれば古代のエジプト人にとっては、建設がやさしかったはずだ。  しかし、実際にピラミッドを作る際には、かなり長い距離を測る必要がある。定規で測るのは無理だし、縄や歩測では何かと不正確だ。

 計算を行うための計算機については、古代エジプトの前の古代バビロニアで、時を計測するのに、機械式アナログコンピュータのような日時計が使われていたようだ、という説があり、古代ギリシャや古代中国でも精密な計測がされているので、同様なツールが使われていたらしい、と推測されているので、現代の科学技術とは異なり、我々には理解できない計測法があったのかもしれない。

●建築技術
 技術的には、ピラミッドは現代でも不可能といわれるような建築技術の粋を集めて作られている、と一般に言われている。 
 ゼネコンの大林組は、クフ王型大ピラミッド建造シミュレーションの結果、次のように言っている。「現代の技術の粋を結集してもあれだけ巨大な建造物をあれほどの完成度で造り上げることが出来るかどうかは、100%不可能とは言わないものの、大変困難であると言わざるを得ないことは間違い事実です。」
http://www.y-asakawa.com/message/report-egypt1.htm
 確かに、ピラミッドを造った古代エジプト人の技術と経験は、現代の技術と経験をはるかに超えたものだったのかもしれない。

ピラミッド計数雑学

●ピラミッドは北半球。
ギザ大ピラミッドの土台周囲4辺の長さの合計は:230.39 + 230.45 + 230.35 + 230.25 = 921.44 m
高さ:146.70 m  周囲割る高さ割る 2 は: 921.44/146.7/2 = 3.140559 ( = π )
(2 π x 高さ= 周囲4辺の長さ すなわち 2 π x 半径 = 円周)
赤道の長さ:40,068,040 m /43,200 = 927.5 誤差 6m = 0.75%
北半球半径:6,355,420 m /43,200 = 147.1 誤差 40cm = 0.2%
(すなわち 北半球 を 1/43,200 で縮小した設計になっている)

●ピラミッド設計者は "地球”の形状、サイズを知っている事と43,200 を示そうとした。
43,200 に何の意味があるのだろうか?

地球の自転軸は 23.4 度 傾いているが、これが 22.1 から 24.5 度の範囲でコマのような
首振り回転運動をする事( = 歳差運動*) が知られている。
この 1 回転 が 25,920 年。
25,920 / 12 = 2,160 年に星座1つ分(12星座=360度)
2,610 * 2 = 4,320 年 に 星座2つ分 (43,200 は20星座分)
言い変えれば宇宙と地球に組み込まれている宇宙時計と同じ。

●ピラミッド設計者は この"時計*”を知っている文明があった事を伝えたかった。
(25,920 / 360 = 72 年 / 1 度)

時計と言えば12時間 = 60 x 60 x 12 = 43,200秒。1秒おきに ピラミッド が倍:
すなわち高さ:146.70 m x2、土台周囲 921.44 m x2
になり4ヶ所のかど が丸くなるとすれば
12時間後=43,200秒後には全く北半球と同じ大きさに、
24時間後(1回転=同じ場所に戻った時)に
ぴったりと地球と同じ大きさになる!


太陽神の象徴、オベリスク(obelisk)

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エジプト・カルナック神殿内のアモン大神殿にある
トトメス1世が建築したオベリスク
Picture from tabi-taro


 エジプトでは、太陽神信仰が古王国時代に絶頂期を迎え、ピラミッドや太陽神殿など太陽神に関連する大きな建物が建設された。だが、やがてエジプトの国力が弱まると、ピラミッド造営は衰退する。それに代わって、ピラミッド型の「オベリスク」という四角錐の一本柱が太陽神に奉納されるようになった。

 オベリスクは、古代エジプト(特に新王国時代)に多く製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種である。

 オベリスクは、太陽神のシンボルとして、または王の権威の象徴として作られていたのだが、その象徴性により西欧人の強い興味をそそり、都市の中心的な広場の中央に据え付けられることになった。クレオパトラ亡きあとのエジプトを占領したローマ帝国は、これをローマに運び、競技場の中央などに立てた。

 現在、欧米の至るところでオベリスクを見ることが出来る。パリのコンコルド広場やニューヨークのセントラル・パーク、ロンドンではテムズ河畔のエンバンクメントに建つ「クレオパトラの針(Cleopatra's Needle)」がそれである。アメリカのワシントン記念塔などこの形を採った記念建造物も多い。オベリスクは現在の「タワー(塔)」を意味する。この「タワー」の起源はエジプトにある。クレオパトラの針といってもクレオパトラとは一切関係ない。

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パリ コンコルド広場にあるオベリスク
Picture from tabi-taro


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夕暮れ時のワシントン記念塔
Picture from Wikipedia


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建設中の東京スカイツリー
2010/4/1現在 塔高 338メートル 隅田川テラスからの眺め
Picture from A.Nasu


 石材の豊富なエジプトでは、ピラミッドやオベリスクのほか、石造の壮大な神殿が数多く築かれた。このエジプトの建築様式は、のちのギリシャやローマの建築に影響を与えたといわれている。

 
古代エジプト王国


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古代エジプト


 古代エジプト王国とは、紀元前3000年前に始まった第一王朝から、紀元前30年に、クレオパトラ7世が自殺してプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入るまで、およそ3000年続いた王国を指す。だが、古代エジプト文明の成立は、さらに2000年遡ることができる。通称、先王朝時代と呼ばれる上下エジプトの時代だ。

先王朝時代 ----- 紀元前5000年頃〜紀元前3000年頃
初期王朝時代 --- 紀元前3000年頃〜紀元前2650年頃
古王朝時代 ----- 紀元前2650年頃〜紀元前2180年頃
第一中間期 ----- 紀元前2180年頃〜紀元前2040年頃
中王朝時代 ----- 紀元前2040年頃〜紀元前1785年頃
第二中間期 ----- 紀元前2040年頃〜紀元前1785年頃
新王国時代 ----- 紀元前1565年頃〜紀元前1070年頃
第三中間期 ----- 紀元前1070年頃〜紀元前750年頃
末期王朝時代 --- 紀元前750年頃〜紀元前305年
プトレマイオス朝 -- 紀元前305年〜紀元前30年
          (出典:吉村作治監修「古代エジプトなるほど事典」)

 エジプトは、メソポタミアと同様世界四大文明の発祥地の一つである。エジプトに壮大な文明を生んだのは、全長約6700キロメートルという世界最長の川・ナイル川による。しかも、川そのものだけでなく、そこで毎年おこる増水が、エジプト文明成立の大きな原動力となった。
 ナイル川は、水源地のエチオピア高原での季節的な豪雨によって、7月になると下流で増水が始まり、11月に減水するまでの間に氾濫した水は流域の平地をおそった。そして、水がひいたあとの耕地には、上流から運ばれた肥沃な泥土が残された。こうして、毎年規則的に繰り返されるナイル川の氾濫で灌漑され、エジプトの農地は生産力がきわめて豊かであった。ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。
 ナイル川流域の多数の村落(ノモス)に、有効な治水と用水の公平な分配を行うには、住民の共同作業と、彼らを統率する強力な指導力が必要であったため、次第にノモス統合への気運が高まった。
 多数のノモスは、やがてナイル下流デルタ地帯の下エジプトとそれより上流の上エジプトの2つの王国にまとまり、さらに紀元前3000年頃に、上エジプトの王メネス(ナルメル)が下エジプトを征服して統一国家を形成し、初期王朝が誕生した。
 エジプトは、メソポタミアに比べれば国内の統一はよく保たれ、ファラオ(大きな家)と呼ばれる王による安定した統治が行われた。民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは王朝の興亡が激しくなく、他民族を侵略したりその侵入を許すことも多くなかった。
 エジプトでは、ナイル川の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。1年を12ヶ月365日とする太陽暦は、のちにローマで採用されてユリウス暦となった。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル川は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量術が発達した。測量術は幾何学の起源とされ、これがピラミッドを始めとするエジプト建築技術の基になっている。


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