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zoom RSS 世界の建築様式 〜 1.古代オリエント編

<<   作成日時 : 2010/02/27 19:30   >>

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世界の建築様式

1.古代オリエント編

 世界の建築めぐり。まずは、人類文明の発祥の地オリエントの「古代オリエント建築」。

 1883年10月4日午後7時30分、オーケストラの行進曲に送られて花の都パリを出発した国際列車があった。パリっ子たちを興奮させた世界初のアジア直通列車「オリエント急行」である。ヨーロッパ人のアジアへの夢や憧れを乗せていた。発車駅は、パリ・ストラスブール駅(現在のパリ東駅)。行き先は、アジアの玄関トルコのコンスタンチノープル(現イスタンブール)。イスタンブールは昔も今も、アジアの玄関で、遥かなる“オリエント”へ向かうことから、「オリエント・エクスプレス」と名づけられたのである。

 「オリエント」という魅力的な響きで呼ばれている地域は、オクシデント(西方=ヨーロッパ)の対義語で、東方または東洋のことである。日本語の文脈においては、「東洋」がしばしば主に東アジアのみを連想させるのに対して、「オリエント」という言葉の響きからは「古代オリエント」の地である西アジア、すなわち現在の中東が連想される。オリエントOrient の語源は、「太陽が昇る方向」つまり東方を意味するラテン語のオリエンスOriens である。地理的には、時代によってその範囲に変化はみられるが、歴史的用語としては、今日「中東」とか「中近東」と呼ばれる地方、すなわち、東はイラン高原の東境、西はエジプト、北はカラカス山脈、南はアラビア半島にいたる地域をさす。

 古代オリエントは、古代アナトリア、古代シリア、古代エジプト、古代メソポタミア(現在のイラクやシリア)、古代ペルシア(現在のイラン)にかけての現在の中東地域を含む西アジア一帯を指す。このオリエントは人類文明発祥の地である。紀元前三千年以来、「肥沃な三日月」地帯を舞台としたさまざまな民族と文化の交代を経験した。肥沃な三日月地帯とは、古代オリエント史の文脈において多用される歴史地理的な概念である、その範囲はペルシア湾からティグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへと到る半円形の地域である。古代オリエントは、古来人類文明発祥の地として、また東西世界の政治・宗教・文化交流の舞台として重要な地域であった。古代オリエント文明とは、その古代オリエントに興った古代文明である。時期としてはシュメールが勃興した紀元前4千年紀から、アレクサンドロス大王が東方遠征を行った紀元前4世紀頃までが相当する。

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古代オリエントの現在の地名


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古代オリエント


 古代オリエントは、ティグリス・ユーフラテス両河地帯で開花したシュメール人による都市文明、北メソポタミアに興った最初の世界帝国アッシリア、世界の覇者として東西文化交流に大きな影響を与えたイラン高原のアカイメネス・サーサーン両ペルシア帝国など常に古代世界の中心地として存在し続けていた。

 古代メソポタミアは、北部はアッシリアと呼ばれ、アッシリア帝国が興起した。南部はバビロニアと呼ばれ、古バビロニア王国や新バビロニア王国が興亡した。バビロニアの北部はアッカドと呼ばれ、南部はシュメールと呼ばれた。

 紀元前3000年頃、メソポタミア地方(現イラク、シリア)に、ウル、ウルク、ラガシュなどの沢山の都市国家が築かれメソポタミア文明が花咲いた。メソポタミアという名前は、「二つの河の間」という意味のギリシャ語である。二つの河とは、ティグリス河とユーフラテス河である。メソポタミアに都市国家を築いたのは、南メソポタミア地方に突如として現れた謎の種族シュメール人である。水に恵まれていたため、古くから農耕が発達し、その生産力に基づいて「建築」と呼ばれるに相応しいモニュメントと都市が、歴史上最も早く誕生した。シュメール人は、都市国家に「神」の基地を建設して都市国家を守っていった。その基地は、ジッグラト(Ziggurat)と呼ばれる階層状の聖塔である。紀元前22世紀頃にウル第三王朝初代の王、ウル・ナンムによって建設された遺跡が残っており、4000年ほどの時を経ても保存状態がよく、貴重な資料となっている。ウルのジッグラトは、煉瓦造りの高い基壇の上に神殿が立っており、その規模は推計縦60m、横45m、高さ25mである。古代都市国家ウルは、月の神ナンナ(nanna)をその都市神としていた。

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古代メソポタミアの建築(ジッグラト) ウル遺跡(ウル王国)


 ジッグラトとは、古代メソポタミア特有の様式で、日乾煉瓦を用いて数階層に組み上げて建てられた聖塔である。「高い峰」という意味がある。シュメール起源と考えられており、その後のメソポタミアの諸都市は神殿を中心に形成された。旧約聖書の「創世記」に記されているバベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものと考えられる。

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絵画「バベルの塔」 1563年
ピーテル・ブリューゲル
(16世紀のフランドルの画家)


 メソポタミア地方にはいくつかのジッグラトが発掘されており、シュメール人都市国家のウル遺跡のほかに、エラム王国のチョガ・ザンビール遺跡(現イラン)がある。これは、最大規模のジッグラト遺跡であり、築いたのは言語系統不明のエラム人である。エラムと呼ばれたのは、メソポタミアの東、現代のフーゼスターンなどを含むイラン高原南西部のザグロス山脈沿いの地域である。紀元前2000年頃、シュメール人国家・ウル第3王朝は、このエラム人によるウル市占領によって滅亡し、エラム人は、この地で、古代オリエント文明を築いていった。

 ペルシャ湾の最深部からほど近いイランの都市アフワーズから、北に約120キロほど進んだところに、チョガー・ザンビール(Tchoga Zanbil)の遺跡がある。ここに、メソポタミア地方(チグリス、ユーフラテス川の流域)以外では珍しくジッグラトが存在する。荒涼とした大地の中に忽然とジッグラト(聖塔)がそびえている。チョガー・ザンビールは、紀元前13世紀頃に栄えたエラム王国の都市遺跡であり、エラム人の宗教上の中心地として建設された。1979年に、ユネスコの世界遺産に登録されている。

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古代メソポタミアの建築(ジッグラト) チョガー・ザンピール遺跡(エラム王国)
紀元前13世紀の施釉レンガ、チョガ・ザンビル
エラム人が建設した神殿都市


 真ん中にそびえるジッグラトを中心に、三つの壁があった。最内側の囲壁は、一辺が105メートル四方のジッグラトを囲んでいた。さらにその外側には、神殿や礼拝堂などの宗教的施設があり、2番目の壁が囲んでいた。そして、その外側の一般の人々が住んでいた市街部を囲むために、直径にして約4キロの3番目の市壁があり、外敵に備えていた。現在はこれらの囲壁・市壁の名残りを見ることができる。遺跡の中心は、ジッグラトと西方向の水利設備跡、そしてジッグラトから東へ約1キロ地点にある王族の地下墓群だ。ジッグラトは、エラム王ウンタシュ・ナピリシャによって建てられた。

 メソポタミアの建築は、やがて古代エジプトにも伝えられ、これが後にアラブ人によって改良され、イベリア
半島から中南米にまで伝わり、ヨーロッパ文明の遠い源泉となった。

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高さ828メートルの現在世界で最も高いビル「ブルジュ・ハリファ」
(アラブ首長国連邦 ドバイ)
現代のバベルの塔


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「世界の建築様式 〜 1.古代オリエント編」について 古代メソポタミアの建築(ジッグラト) チョガー・ザンピール遺跡(エラム王国)の写真を利用することは可能でしょうか?
教材として
2014/09/21 20:50

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