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<<   作成日時 : 2010/02/11 23:35   >>

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旧暦で読み解く 日本の習わし 〜 五節句

 前掲の 『旧暦で読み解く 日本の習わし 〜 二十四節気と雑節』 に続いて、五節句についてまとめてみた。

画像
茶道具「中棗 五節句蒔絵」


 節句(せっく)は、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日で、日本の文化・ 風習のこと。

 節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことである。
 節句は、暦の中で奇数の重なる日を取り出して奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるための避邪(ひじゃ)の行事が行われたことから、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓(はら)うという目的から始まった。この中国の暦法と、日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり「節句」といわれるようになったそうである。

 節句はもとは「節供」と書き、江戸時代は年に5日が公式に法制化された式日(現在の祝日みたいなもの)だった。
この5日を「五節供」と言った。「五節句(五節供)」の制度は明治6年に廃止されたが、今でも年中行事の一環として定着している。

 五節句には、3月3日、5月5日のように奇数の重なる日が選ばれているが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、
1月7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れている。 


1. 人日の節句(じんじつのせっく)

   説明:旧暦正月七日の称。人日とは文字通り「人の日」のこと。人日の節句は五節句の1番目の節句である。
      江戸時代、人日は幕府の公式行事となり、将軍以下が七草粥(ななくさがゆ)を食べて祝い、無病息災
      を祈念した。武家においては大変に重視された祝日だった。現在では七草粥の風習の方が有名になっ
      て、人日という言葉は忘れられている。この日には、万病除けと邪気払いに良いとされる七種の野菜や
      雑草を入れた粥に餅を入れた七草粥を食べる習慣がある。胃腸の調整を計る薬草代りとも言われること
      から、正月のご馳走を食べた後の「箸休め」ともなる。他の4つの節句は“奇数の重なる日”となっている
      のに対し、「人日の節句」は唯一の例外である。
   別名:若菜摘み、七草粥(ななくさがゆ・七種の草の粥)
   Menue:春の七草=せり(芹)・なずな・ごぎょう(母子草)・はこべら(はこべ)・ほとけのざ(たびらこ)・
       すずな(かぶら)・すずしろ(大根)
      “君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ”(百人一首:光孝天皇)
      この若菜が春の七草であったといわれている。年のはじめに若菜を摘み、自然界から新しい生命力を
     いただく…そんな「若菜摘み」という日本古来の季節行事が、中国伝来の七種菜羹(ななしゅさいよう、
      7種類の野菜を入れた羹(あつもの))と結びついて「七草粥」となったという。


2. 上巳の節句(じょうしのせっく)

   説明:旧暦三月三日の称。重三(ちょうさん)ともいう。上巳の節句は、女の子の誕生と成長を祝う「雛祭り」と
       して一般に浸透しているが、「上巳」とは、旧暦3月の最初の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬
       の巳の日であった。古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。
       旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われ、桃などの自然の生命力を
       もらうなどして厄災を祓う。
   別名:桃の節句 ・雛の節句・雛遊び・雛祭り・流し雛・女の子の祝い
   Menue:菱餅・ひなあられ・蛤のお吸い物・ちらしずし・白酒
      雛祭りの料理では、しじみ、はまぐり、赤貝などの貝類が使われることが多かった。かつて磯遊びで供
      された海の幸の流れをくむものだろう。貝類の中で特に、はまぐりは、ほかの貝とは会わないというとこ
      ろから貞操のしるしなのだ。まさに雛祭りが女の子のお祝いだということのあらわれである。
      “あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花“(サトウハチロー作詞)
      この歌「うれしいひな祭り」の二番に、白酒で顔を赤く染めた右大臣がでてくるように、雛祭りに白酒は
      欠かせない。白酒の代わりに甘酒もよいが、今風にするなら、ロゼワインや白ワインを冷やしてグラスに
      注ぎ、桃の花を浮かべて飲むのもよい。


3. 端午の節句(たんごのせっく)

   説明:旧暦五月五日の称。男の子の節句。端午とは「初五」の意で、端は最初という意味で、午は五と同音
      で同じ、つまり端午は、もともと月の初めの午(うま)の日のことをいい、毎月の上旬の五日の意味もあ
      った。古来中国では邪気を払い健康を祈願する日とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作っ
      た人形を飾ったり、菖蒲(しょうぶ)酒を飲んだりする風習があった。もともとは旧暦5月5日に祝われたが、
      今日の日本ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われている。強い香気で厄を祓う菖蒲や蓬を軒につ
      るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをした。また菖蒲湯に入ることで無病息災を願った。菖蒲がまじな
      いに使われたのは、これが昔から薬草であり、邪気・悪魔を祓って火災を除くと信じられていたからであ
      る。江戸時代以降は男子のいる家では鯉のぼりを立て、甲冑・刀武者人形などを飾って、子どもの成長を
      祝う行事になった。 「菖蒲」を「尚武(しょうぶ)」という言葉にかけて、勇ましい飾りをして男の子の誕生と
      成長を祝う「尚武の節句」でもある。
   別名:こどもの日・菖蒲の節句・尚武の節句・端午の節句・鯉のぼり・男の子の祝い 
   Menue:鰹のたたき(勝男にかけて)・ブリ(出世魚)・たけのこ(すくすく伸びる)・赤飯・ちまき・柏餅
      “柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ 粽(ちまき)たべたべ 兄さんが 計ってくれた 背の
      たけ“。誰もが知っている「背くらべ」。中山晋平作曲、海野厚作詞により大正時代に発表された童謡で
      ある。端午の節句には、粽(ちまき)や柏餅を食べる習慣があるが、粽とは、うるち米の団子を笹の葉で
      包んだもの。柏餅(かしわもち)と並ぶ、端午の節句のお菓子である。この日に、粽を食べるのは中国の
      伝説に由来している。9世紀頃から、5月5日に食されてきたという。民間に広がるのは、江戸時代になっ
      てから。元々は、笹ではなく 茅萱(ちがや)葉で包んだので粽という名前がついたという(→ 茅巻き)。
      茅萱はイネ科の多年草で、甘い穂は農繁期の貴重なおやつだった。茅萱の葉は、魔よけ、厄病除けの
      効果があるとされた。

4. 七夕の節句(しちせきのせっく)

   説明:旧暦七月七日の称。七夕とは旧暦七月七日の夜のこと。梶の葉に歌を書いて星に手向ける星祭が、
      笹に願いの短冊を下げて川に流すようになった。現在、東京では七月七日に行うが、地方によっていは
      一月遅れの八月七日に行う所もある。七夕行事は、星祭伝説に加えて、中国に古くから伝わる牽牛星
      (彦星)・織女星(織姫)にあやかり、女子の手芸が巧みになることを願った中国の行事「乞巧奠(きこう
      でん)」の行事に、日本古来の棚機津女(たなばたなつめ)の信仰が混ざり合って形成されたものだった。
      中国から伝わった七夕(しちせき)が日本の棚機津女と結びついて七夕を「たなばた」と読むようになった
      のは平安時代の宮中行事からで、貴族たちは七月七日の宵に宴を開き、遥か天上の星物語に思いを
      はせながら、琴を弾き詩を詠んで芸事の上達を祈るようになった。庶民に広まったのは江戸時代からだ
      そうだ。 現在、七夕の家庭的行事は、幼稚園や小学校で行われる程度になっている。かつては、どの
      家でも竹笹に願い事を書いた短冊をつるし、色紙で細工したjものを飾りつけ、家の門や入口に立てかけ
      たものだ。各地の商店街では客寄せのため、七夕飾りが行われている。青森の「ねぶた祭り」や秋田の
      「竿灯」も七夕祭の一つである。
   別名:七夕(たなばた)祭り・乞巧奠(きこうでん)・星祭
   Menue:素麺・笹かまぼこ
      古くは中国伝来の索餅(さくべい:小麦粉を練って紐状にのばしたもの)が七夕のご馳走とされたが、
      江戸の頃にはこれに代わって素麺が食べられるようになった。素麺は「天の川」や「織り糸」も連想させ、
      七夕のメニューにはもってこいだ。鮎の塩焼きや季節野菜の天ぷらなど、旬や涼を感じる料理も添える
      とよい。
      “笹の葉さらさら 軒端に揺れる お星様きらきら 金銀砂子“
      昭和16年3月文部省発行の『うたのほん 下』に掲載された歌「たなばたさま」である。五色の短冊を
      竹笹に下げると願い事が叶うという由来は、中国の伝説から来たようだ。
      「笹の葉」といえば、「笹かまぼこ」。「笹かまぼこ」といえば、七夕祭りとともに仙台が有名だ。
      その笹かまぼこは、仙台藩主伊達家に因む。伊達家の家紋「竹に雀」。その形状から、元は「木の葉
      かまぼこ」「手のひらかまぼこ」「平かまぼこ」「ベロかまぼこ」などと呼ばれていた。仙台市一番町に
      1935年(昭和10年)創業した阿部蒲鉾において、旧仙台藩主伊達家の家紋「竹に雀」の笹に因んで
      「笹かまぼこ」と呼ぶようになってから、旧仙台藩地域で次第に名称が統一されていったという。
      現在では「笹かま」との省略形でも通用する。


5. 重陽の節句(ちょうようのせっく)

   説明:旧暦9月9日の節句。中国の重日思想から発した祭日。重日とは月の数と日の数が同じ数字となる
      日付。めでたい特別の日付と考えられた。重陽は、中国の易でいう陽数(奇数)の極である九が重なる
      ことで、重九(ちょうく)ともいい、陽の極である九が二つ重なる九月九日は、大変にめでたい日とされた。
      重陽の陽は、中国伝来の陰陽説によれば、奇数は陽の数、偶数は陰の数とされていた。9は一桁の奇
      数としては一番大きな数なので「陽の極まった数」として陽数を代表する数と考えられた。「陽の極まった
      数の重日」ということで「重陽」となった。そこで、9月9日を「重陽の節句」と定め不老長寿や繁栄を願うお
      祝いをした。そこで主役となった花が「菊」。 中国では、菊はすぐれた薬効をもつ植物として古くから知ら
      れ、4世紀に記された書物には菊が群生している谷を下ってきた水を飲んだ村人たちが長寿になったとい
      う「菊水伝説」が登場する。旧暦9月9日の頃は菊の花が綺麗に咲く時期なので 菊の節句ともいわれる。
      古代中国では、家族で野に出て、 または登高といって高い丘に登り、長生の効能がある菊花酒を飲み、
      長寿を願い、災難を払うという風習を生んだ。日本では奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行
      われた。最近はこの風習は少しずつ薄れてきているが、菊にちなんで、この日に各地で菊の品評会が
      開かれることがある。現代の生活の中ではあまり関心をもたれない節句だが、旧暦が使われていた時代
      には五節句の締めくくりとして最も盛んだったそうだ。現在重陽の節句としての行事はほとんど残っていな
      いが、九州地方では「お九日(おくんち)」と重陽の日を尊んでいた。長崎のおくんちも本来的にはこの日
      のことで 、収穫祭の日取りとしてもっとも早いもののひとつである。
      不老長寿を願う重陽の節句は、今では忘れ去られたような節句だが、戦後の「九月十五日 敬老の日」
      の制定にはこの意味合いが生かされ、現在に続いている。敬老の日は、いまは9月第3月曜日。
   別名:粟の節句 ・菊の節句・九月節句
   Menue:重陽の節句は、ほとんど忘れ去られてしまった感がするが、栗や食用菊を中心とした献立を考える
      のもよい。菊の花は昔から 不老長寿の花といわれ、漢方にも使われている。
      敬老の日の定番、長寿をお祝いする「鯛めし」に、旬の野菜を使ったヘルシーで秋らしい献立を考えて
      みるとよい。


長寿の祝い
 長寿をお祝いする事を賀寿(がじゅ)という。
 長寿のお祝いは、いままでの長寿に敬意を表して、これからも元気で、長生きしてほしいという
 願いをこめてお祝いすることだ。

 旧暦の9月9日は、重陽の節句。
 不老長寿を祝うこの行事、重陽の節句は、天武帝の頃(673年)に中国から伝わり 
 「菊花の杯を伝えて万年の寿をなさる」など菊酒を飲み、お互いの不老長寿を願ったようだ。
 そのため、菊節句とも言われ、健康長寿を願い、菊酒をお供えするそうだ。
 この日は邪気を祓い長生きの効能があるとされる菊に長寿や繁栄を祈る。
 
 重陽の節句は中国の重日思想から来ている祭日である。
 重日とは9月9日の様に数字が重なっている日付の事で、
 さらに奇数を良いことを表す陽数、反対を陰数(偶数)と呼ぶのだが、
 この陽数が重なる日ということで重陽の節句と呼ぶ。

 以下、長寿の祝いを記載する。

賀寿       年齢(数え年)  いわれ

還暦(かんれき) 
           61歳    生まれた年の干支が一回りして戻るという意味から。
                  61歳(満60歳)干支が61年目に元にかえることから、
                  本卦還(ほんけがえり)とも。
古希(こき)    
           70歳    唐の詩人、杜甫(とほ)の詩「人生七十古来稀(まれ)なり」から
喜寿(きじゅ)   
           77歳    草書体の「喜」が「七十七」と読めることから
傘寿(さんじゅ)  
           80歳    「傘」の俗字が「八十」と分けるところから
半寿(はんじゅ)  
           81歳    「半」の字を分解すると、「八、十、一」になるところから
米寿(べいじゅ)  
           88歳    「八十八」を一字にすると「米」となるところから
卒寿(そつじゅ)  
           90歳    「卒」という字の略字が「卆」で「九十」と読めるところから
白寿(はくじゅ)  
           99歳    「百」という字から「一」を取ると(100から1を引けば)「白」になることから
上寿(じょうじゅ) 
           100歳    120歳説もある。「最上位」という意味から
           
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(参考)

下寿(かじゅ)(げじゅ)とも 
           60歳(80歳)。故事による年齢の別称。 80歳説もある。
中寿(ちゅうじゅ) 
           80歳(100歳)。故事による年齢の別称。100歳説もある。
茶寿(ちゃじゅ) 
           108歳。茶の字が廾(二十)と八十八でできているところから。
皇寿(こうじゅ) 
           111歳。字形が、一を加えると百になることから九十九を表す「白」と、
           十と二からなる「王」を合わせたところから。
珍寿(ちんじゅ)
           112歳〜。 
           これほどの長生きは珍しいから。
大還暦 (だいかんれき) 
           120歳。還暦の倍になるからだそうだ。


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リンク:二十四節気と雑節
  http://matiere.at.webry.info/201002/article_3.html
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主な参考文献・引用文献
・季節のことば辞典 復本一郎監修 柏書房
・日本の年中行事 塩田勝編 金園社
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