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zoom RSS 【龍馬伝】 龍馬の生涯

<<   作成日時 : 2009/12/06 22:32   >>

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 龍馬(りょうま)とは、坂本龍馬のことで、幕末史の奇跡と呼ばれた謎多き風雲児。
幕末を―大転換の時代と見抜き、海外交易で世界に雄飛することを志して
開国日本の前途を構想した幕末の志士である。

 文久2年(1862年)10月、江戸城常盤橋にある越前福井藩邸を訪れ、越前藩主で
幕府政事総裁職だった松平春嶽(慶永)に謁見した。
 龍馬は春嶽に、海軍振興のために兵庫に海軍操練塾の設置を要請した。
春嶽は龍馬に海防にはなぜ軍艦が必要であるのかを問い、龍馬はその必要性を説いた。
 龍馬の説明に春嶽は微笑み、龍馬に「よさこい節」を所望した。
龍馬は驚いたが、手をたたいて歌った。

  ♪ 土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た  
    よさこい よさこい


炎〜ほむら〜 〜2009龍馬よさこい冬の舞(高知城)
2009年11月15日に開催された「2009龍馬よさこい冬の舞」での「炎〜ほむら〜」
高知大生の弾けるような踊りをお楽しみ下さい


【龍馬伝】坂本龍馬の生涯

画像
坂本家の紋章


画像
幕末に写された坂本龍馬の写真



 坂本龍馬は、天保6年(1836年)11月15日、土佐藩の町人郷士・坂本八平の次男とし
て、高知城下本町に生まれた。 坂本家はもともと商家で、龍馬は自由で合理的な町人
気質に触れながら育った。岩崎弥太郎より1歳年下に当たる。

 子供の頃は痩せっぽちの泣き虫だった。12歳の時に母が病死、姉の乙女が母代わりに
弟の面倒をみた。姉はひ弱な龍馬に剣道を習わせた。剣術で自信をつけた龍馬は、北辰
一刀流の剣術を習得することを志し、19歳の時(1853年)の3月に郷里・土佐を出立し、
4月に江戸に着いて、千葉定吉(北辰一刀流の開祖千葉周作の弟)の道場(江戸京橋の
桶町千葉道場)に入門した。剣術に励み、24歳の時(1858年)、免許皆伝を得るに至った。

 龍馬が千葉道場に入門するや、6月3日にアメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが
江戸湾に姿を現した。江戸へやってきたばかりの龍馬は、当初は高見の見物を決め込む
つもりだったようだ。しかし、事態は急転した。

 危機感を募らせた幕府は、急遽、土佐藩、因幡鳥取藩、陸奥仙台藩などに藩兵を繰り
出して江戸湾岸を警備するように命じたからである。当時、龍馬は築地の土佐藩中屋敷
に起居してうたものと推測されるが、すぐさま品川の土佐藩下屋敷に駆り出された。
やがてペリーは黒船4隻を率いて国外に去ったため、警備は解かれ、龍馬は中屋敷に引
き上げ、剣術修行に勤しむことになる。

 文久2(1862)年3月、龍馬は土佐藩を脱藩した。当時の土佐藩は、武市半平太が率いる
土佐勤皇党が、挙藩一致の勤皇運動を起こそうとしていたのだが、龍馬はその武市の考
え方に賛同できず、脱藩するに至ったのである。

 龍馬は、これ以降は江戸や神戸、京都、山城伏見、下関、肥前長崎、薩摩などを縦横
駆け巡るなど、卓越した行動力をみせている。このように卓越した行動力をみせつつ、
数々の偉業をなし遂げた。

 龍馬の偉業として次の点が特筆される。

 偉業の第一は、薩長同盟の締結を斡旋を行い、対立関係にあった薩摩藩と長州藩を和解
させた上で討幕派の結集に一役かったことであろう。これにより、薩摩、長州、幕府が
入り乱れた大戦争を回避することができた。慶応2年(1866年)1月21日、龍馬の斡旋に
より薩長同盟が成立した。土佐の泣き虫少年が、かくして歴史を動かしたのである。

 偉業の第二は、我が国最初の株式会社である亀山社中、海援隊を結成したことである。
龍馬は藩士としての活動に限界を感じ、土佐藩を脱藩して政治的、経済的に自立する道を
模索し、その結果、長崎で結成されたのが亀山社中である。亀山社中の社中は会社を意味
し、給与制が導入されるなど、現代の会社に近い企業形態だったようである。亀山社中は、
慶応3年に改組、改編されて土佐藩直属になり、龍馬の落命により惜しくも休止に追い込
まれるが、仮に龍馬が存命であったならば、さらに新しい時代に即応した企業形態に
脱皮していたことだろう。

 偉業の第三は、慶応3年に後藤象二郎に「船中八策」を提示したことであろう。
「船中八策」は、「天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷から出ずべきこと。
上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛(さんさん)せしめ、万機公論に決すべき
こと…」で始まる、新しい国のグランド・デザインである。これは象二郎から土佐藩主
山内容堂に建言され、容堂から徳川慶喜への建白書となって、徳川慶喜の大政奉還につ
ながり、維新後の新政府の発足や国家構想に大きな影響を与え、歴史を大きく動かすこ
とになる。「船中八策」には、王政復古や議会の開設、人材登用、海軍力の整備の必要性
などが明記されている。

 このように、龍馬が貿易振興、海軍力の整備を企図して亀山社中・海援隊を設立した
こと、「船中八策」によって新政府の国家構想を提示したことなどは、龍馬の代表的な
功績として21世紀の現代でも高い評価に値する。

 龍馬の魅力は、その偉業のほかに、以下のような諸点にも見ることができよう。

 第一は、自由闊達に新天地を求めていったことである。龍馬は体制や権力者に媚び
ず、自由闊達な生活を貫いたことである。龍馬は土佐藩出身であるが、土佐藩という
組織、枠にとらわれることなく、自ら二度にわたって脱藩し、新天地を求めたという点
に魅力が感じられる。

 第二は、龍馬は決して自らは権力や地位を望まなかった点にある。例えば、龍馬は
慶応年間に、西郷隆盛から相談を受け、新政府の人事案を作成しているが、そこには
龍馬自身の名は入れなかった。この点を隆盛が確認すると龍馬は、窮屈な役人勤めを
するつもりがないこと、海援隊を率いて世界に乗り出すことを口にしたと言われてい
る。龍馬が刺客の襲撃を受けていなければ、恐らくは実業家として世界に飛翔していた
ことだろう。

 第三は、幕末維新期に尊王攘夷派と佐幕派との角逐が続く中で、テロリズムや武力の
行使を正当化する風潮が生まれたが、龍馬はそういった風潮とは無縁であった。
危険思想には、相手を熱心に説得する方法を貫いている。自らの命をも惜しまないそ
の行動は、見事という他はない。

 第四に、婚約者の千葉佐奈、妻のお龍に恋焦がれる一方で、姉の坂本乙女、恩人で
ある寺田屋お登勢を慕い続けた点も、母性本能を擽る魅力であろう。
お龍と日本で始めてのハネムーンを行ったという点も微笑ましい。

 慶応3年(1867年)11月15日、京都四条河原町の醤油商近江屋で、坂本龍馬と、陸援隊
長の中岡慎太郎が、何者かによって命を狙われた。龍馬は切り込まれて即死。
慎太郎は、その場では一命をとりとめたが、後に死亡した。龍馬33歳、慎太郎30歳、
夢半ばの短い生涯だった。2人は、奉還後の政治体制について会談中だったと思われる。
犯行は、幕府見廻組実行説、薩摩藩(西郷隆盛・大久保利通)陰謀説、岩倉具視謀略説
などがあるが、定かではない。暗殺の理由は政治体制の意見の相違からだと思われる。
2人は、平和的に新生日本の礎を築きたいと望んでいただけに、残念なことである。
坂本龍馬は、徳川慶喜の大政奉還の英断を評価し、慶喜に新政府の副関白の地位を与え
ようとしたほどである。

 坂本龍馬が木戸孝允(桂小五郎)に言った言葉がある。「まだその藩なるものの妄想
が覚めぬか。 薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。 小五郎!」

 慶応4年(1868年)3月13日、幕府方の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛が会談の末に、
江戸城無血開城を実現させた。3月14日、新政府、五箇条の御誓文を発布した。
この五箇条の御誓文は、龍馬の「船中八策」を素案にしているとも言われている。

慶応4年9月8日(1868年10月23日) 明治天皇即位により元号は改元され明治となった。
なお、改元は、慶応4年1月1日(1868年1月25日)に遡って適用することとされた。
すなわち、慶応4年=明治元年である。

 1868年6月11日(慶応4年=明治元年旧暦閏4月21日)基本法ともいえる政体書が
布告された。政体書によって新しい政治制度を採用し、新時代の到来を宣布した。
この政体書は、新政府の政体を「五箇条の御誓文」に基づくものとし、権力分立・官吏
公選・府藩県三治制などについて規定している。
この政体書に基づいて、6月17日(旧閏4月27日)新しい体制が発足した。
国家権力全体を支配する組織を太政官と称して、同時に内部では権力分立を行って
専制権力の発生を阻止しながら、諸大名や国民を強力に支配していく体制を組織しよう
としたのである。
ここに、龍馬の政治改革の夢が実現した。

 1881年(明治14年)5月、龍馬と慎太郎、靖国神社に合祀された。

 なお、坂本龍馬の龍馬は通称名で、諱は直陰(なおかげ)のち直柔(なおなり)と
いう。坂本龍馬は他に才谷梅太郎などの今で言うペンネームもある。


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Youtube 美空ひばり - 龍馬残影


龍馬残影
作詩:吉岡治 作曲:市川昭介 歌:美空ひばり


風が舞うのか お龍の声か
頬をたたいた 京しぐれ
夢のつづきが あるならば
おまえと見たい 最後まで
龍馬血染めの 龍馬血染めの 夢が哭く

馬鹿が無用の 剣ぬいて
それで日本が 拓けるか
話してわかる 刺客ではないが
まことこの世は ままならぬ
浮いて漂よう 高瀬船

土佐の高知の はりまや橋で
坊さんかんざし 買うをみた
ヨサコイ ヨサコイ

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リンク:

「坂本龍馬 平和と統一の先駆者」
http://www.asahi-net.or.jp/~kd6k-ymmt/ryouma.html

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MyPage リンク:

【龍馬伝】龍馬と弥太郎
http://matiere.at.webry.info/200912/article_1.html
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主な参考・引用文献:
 津本陽「商人龍馬」日経ビジネス人文庫
 河合敦「維新のリーダー」光文社知恵の森文庫
 立石優「岩崎弥太郎」PHP文庫
 川口素生「坂本龍馬と海援隊101の謎」PHP文庫

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