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zoom RSS 歴史を彩った女性のショートストーリー(日本編)〜(3)奈良時代

<<   作成日時 : 2008/02/16 01:54   >>

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歴史を彩った女性のショートストーリー(日本編)〜(3)奈良時代
                                    ●ショートストーリー作成:matiere



BGM: ♪桜巡礼((C)音楽工房 夢見月様



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あをによし 奈良の都は 咲く花の匂うがごとく 今さかりなり


 桜の花が咲き誇る春爛漫の大和路を、飛鳥の藤原京から奈良の平城京へ向かって進む一台の御所車がありました。
中のお姿は艶やかな女帝・元明天皇。西暦710年3月10日、平城京遷都です。 世にいう奈良時代がはじまりました。

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御所車
フリーサイト(夢幻華亭様)

 「あをによし 奈良の都は 咲く花の匂うがごとく 今さかりなり」
これは、平城京の役人だった小野老朝臣(おののおゆあそみ)が、奈良の都から九州の大宰府(だざいふ)の政庁に転勤となった時、太宰府長官の大伴旅人(おおとものたびと)が催した小野老の着任を祝う宴で、小野老が遠く離れた大宰府の地から奈良を懐かしんで詠った和歌です。まさに奈良を象徴する歌で、万葉集に採られています。

 「あおによし」の「あおに」は和歌における「奈良」にかかる枕詞であり、「青丹」と書き、「青」と「丹(赤)」の色とされています。青と赤に彩られた煌(きら)びやかさや、大和の青垣と建物の朱色が調和した美しさなど、美しい奈良の建物の情景を連想させる姿を表したものとなっています。 この「あをによし」という言葉のイメージは、天平文化が絢爛と花開き、美しい寺院が建ち並ぶ平城京のイメージに重なります。

 平城京は、藤原京にならって碁盤の目のような条坊制(「条・坊」という地番区分呼称を用いた都市計画システム)が布かれました。また、飛鳥に建てられた大寺院が次々と移転されました。このようにして「咲く花のにおうが如く今盛りなり」と歌われた平城京が出来上がりました。

 奈良時代という歴史区分は、710年に元明天皇が平城京に都を遷してから、784年の桓武天皇による長岡京遷都を経て、794年に同じく桓武天皇によって平安京(京都)に都が遷されるまでの84年間を指します。奈良の地に都(平城京)が置かれたことから「奈良時代」といいます。

 この時代は、平城京を中心にして貴族・仏教文化が華開きました。この文化を、聖武天皇のときの元号天平(てんぴょう)を採って「天平文化」と呼んでいます。文化史上では、この時代は「天平時代」と呼ばれています。

 奈良時代(天平時代)の前の日本史上の時代は、飛鳥時代。すでに飛鳥時代のページで書いた通り、飛鳥時代は文化史の面からみると、「飛鳥時代」と「白鳳時代」に分けられます。
   http://matiere.at.webry.info/200802/article_4.html
奈良時代といえば、「飛鳥時代」「白鳳時代」も含まれると誤解を招きそうなので、奈良時代と言うより、「天平時代」の方が妥当な呼称といえるかもしれません。

 天平文化は、聖武天皇のころの文化です。聖武天皇は、仏教によって国の平安を守ろうとし、平城京には多くの寺院が移建されたり、創建されました。飛鳥京や藤原京から移建された興福寺・大安寺・薬師寺・元興寺の四大寺と、奈良に創建された東大寺・西大寺の二大寺の六寺を総称して、「南都六大寺」といいます。南都とは奈良のことです。南都六大寺に法隆寺を加わえて「南都七大寺」ということもあります。ただし、法隆寺は奈良市内ではなく斑鳩町に所在しているため、この法隆寺の代わりに唐招提寺を入れて南都七大寺という場合もあります。

 聖武天皇は、国家鎮護のため、諸国に国分寺や国分尼寺を建て、仏教に力を入れました。その総本山と位置づけられる総国分寺・総国分尼寺が東大寺、法華寺であり、鎮護国家の象徴として東大寺に大仏が建立されました。

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東大寺の大仏
フリーサイト(アートワークス様)

 また、天平文化は、唐の文化の影響も強く受け、唐ばかりでなく、シルクロードなどを通じて、インドやイスラムの影響も入った国際色豊かな文化でもありました。東大寺大仏殿の北西に位置する正倉院に収めらている宝物には中国・ペルシアなど様々な文化の影響が感じられます。

 天平時代の文学を代表する古典に「万葉集」があります。現存する我が国最古の歌集です。その編纂は白鳳時代に芽生え、天平時代に結実しました。また、飛鳥時代の天武天皇のときに着手された国史編纂の事業は、天平時代に入って、「古事記」「日本書紀」となって完成しました。

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フリーサイト(十五夜様)


 平城京遷都には藤原不比等(ふじわらのふひと) が重要な役割を果たしたと考えられています。藤原不比等は、天智天皇の寵臣中臣鎌足(なかとみのかまたり:藤原鎌足)の次男であり、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家です。実質的な藤原氏の祖であり、後の藤原氏の栄華の基礎を築いた人物です。

 天平七代の天皇のうち四代、元明(げんめい)、元正(げんしょう)、孝謙(こうけん)、称徳(しょうとく)(孝謙の重祚)の女帝が、在位されたことは他の時代には見られぬ大きな特色で世界的にも珍しいことです。後の時代(平安時代)に二人の女帝が在位されますが、「天皇制中央集権国家」での女帝は「称徳天皇(孝謙天皇)」が最後と言えましょう。
  (注)重祚(ちょうそ)とは、一度退位した皇帝が再び皇帝の座につくことをいう。

 今回の「歴史を彩った女性のショートストーリー 奈良時代」には、その天平文化の幕をあけた人物と、その花を咲かせた人物を選びました。元明天皇と光明皇后です。

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元明天皇(げんめいてんのう)
  
●あをによし奈良の都の朱塗りの門は 平城京の朱雀門
   元明女帝の艶やかな 天平文化の幕があく。


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【注釈】
朱塗りの門:平城京では藤原京にならって、門柱や宮殿には中国王朝で使われていた朱色
        が使われました。
平城京:日本初の本格的な都として誕生した奈良・平城京は、シルクロードへと連なる国際
     都市でした。
朱雀門:すざくもん。平城京のメインストリート・朱雀大路に面した正門で、1997年に
     復元されました。
天平文化:平城京には、日本文化の基層ともいえる艶(あで)やかな天平文化の幕が開き
       ました。
     
【説明】元明天皇は奈良時代最初の女帝。天智天皇の皇女。草壁皇子の妃となりました。  
    律令国家体制の維持につとめ、都を藤原京から更に広い平城京に遷しました。
    元明帝は、太安万侶(おおのやすまろ)に、古事記編纂の勅命を発しました。

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ライトアップされた朱雀門
写真出典(奈良 白鹿荘様)


     
光明皇后(こうみょうこうごう)
  
●天平の咲く花のごとき光明子
   かけがえのない御物を奉ぜし正倉院
         古代の粋にシルクロードの世界が光る。


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【注釈】
光明子:こうみょうし。藤原光明子。奈良朝で初めての男性天皇である聖武天皇の后である
      光明皇后の名前です。父は政界の大物、右大臣・藤原不比等。母は後宮(こうぐう:
      皇妃や女官の住む宮殿)を動かす女官・橘三千代。宮廷を表と裏から動かす野心
      家を両親に生まれ、藤原一門の野望を背負って聖武帝皇后として立后しました。
御物:  ぎょぶつ。「ごもつ」とも。天皇の所有品。天皇家に伝来した所蔵品。
正倉院: 東大寺の正倉院は、唐やシルクロードの多彩な文物を今に伝えるタイムカプセルで
      す。正倉院宝物は、光明皇后が夫聖武天皇の冥福を祈り、四十九日の忌日に天皇
      御遺愛の品々を、東大寺大仏に捧げた第一回の献物に始まります。
      正倉院には9000点以上の聖武天皇が使ったと言われる物が納められていて、
      その歴史的価値からみますと相当素晴らしいもので、イギリスの歴史学者の
      アーノルド・トインビーは「七、八世紀のさまざまな遺品を、あれほどまでに数多く、
      しかも完璧な姿で保存されてきた正倉院の宝物は、まさにかけがえのない〔宝石〕
      である」と述べています。
シルクロード:正倉院は『シルクロードの東の終着点』といわれます。
      そのことは、正倉院の豊かな宝物から読みとることができます。
      正倉院宝物の中心は東大寺大仏への奉納品です。
      そして東大寺大仏自体、シルクロードの東の終点にそびえる
      壮麗な文化交流の記念碑でした。   
     

【説明】
    光明皇后は仏教に篤く帰依し、全国の国分寺と国分尼寺の創建と東大寺の大仏建立
    を帝に進言したと伝えられています。聖武天皇と光明皇后の夫婦を中心に、天平文化
    は花開いたのです。
    皇后は聖武天皇の死後、天皇の考えに思いを馳せながら、遺品などを東大寺に寄進
    しました。そして、その宝物を収めるために正倉院が創設されました。
    皇后はさらに、興福寺、法華寺、新薬師寺など多くの寺院の創建や整備に関わりまし
    た。 奈良時代において光明皇后こそは、咲く花のごときファーストレディとして仏教文化
    の推進を 計りました。天平文化は、光明皇后の存在無しでは、あり得ませんでした。

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正倉院正倉
フリーサイト(ウイキペディア)


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正倉院花文暈繝錦(しょうそういんかもんうんげんにしき)
フリーサイト(有職文様素材集様)


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<<国分寺創建の詔>>
 聖武天皇が全国に国分寺創建の詔を発せられるに到った動機は、当時大流行した疫病と飢饉から国を護り、国民を救うことでありました。その「国分寺創建の詔」には穀物の不作による飢餓や、当時の医学では如何とも成し難かった病気の流行を、仏のカにすがって鎮め、国民を幸せにしたい、との強いご決意の様子が伺えます。また皇后の長兄に当たる藤原武智麻呂(藤原不比等の長子)など4人の兄達の相次ぐ病死や、全国の多数の餓死、病死者の菩提を弔う意味もあられたことでしょう。それら多くの要因があって発布された詔であると思います。


<<東京都国分寺市>>
 国分寺市の話の前に府中市のことを書いておきましょう。
 東京都府中市は、その昔、大化の改新によって武蔵の国(東京都、埼玉県の全域と神奈川県の一部)のメトロポリスにあたる国府が、府中市の大国魂神社付近に置かれ、政治や経済そして文化の中心地として栄えてきたところです。

 東京都国分寺市においては、奈良時代の天平13年(741年)、武蔵の国の国府(府中市)から北方約2.2km、武蔵野台地を背にした平原部(現在の西元町)に東西約0.9km、南北約0.5kmにわたって、20年余の歳月をかけて、国分僧寺と国分尼寺が創建されました。完成した武蔵国分寺は、諸国の国分寺に比べ規模や雄大さは群を抜いたものでした。

 武蔵の場合、この広大な敷地を地理的にみると、当時の武蔵の国では相当南に片寄った場所に当りますが、これは国府にほど近く、遥か西南に富士を望み、緑豊かで湧水の溶れる丘陵(国分寺崖線)を背景に持った景勝の地であることが、国分寺の創建にふさわしい“好処”と選定されたからだと思われます。

 現在、国分寺崖線の北側に都立武蔵国分寺公園があります。緑豊かな憩いの場として休日には. 家族連れ等で賑わっています。その中でも「ふれあい橋」は、市内の富士山の絶景スポットの一つで、ここからは富士山の見える町並みが眺望でき、秋から冬にかけての晴天時には特に美しい富士山を見ることができます。公園南側には、市内の文化財集中地区である史跡武蔵国分寺跡、お鷹の道、真姿の池湧水群があり、歴史や自然にふれあえる場所として、休日には多くの人々で賑わっています。


<<平城遷都1300年記念事業>>
 2年後の2010年に遷都1300年を迎える奈良では、平城宮跡のほか奈良県全域で平城遷都1300年記念事業が開催されます。京都に都が移るまでの飛鳥時代から奈良時代にかけて、天皇が代わるごとに遷都されていましたので、奈良県には各地に都の跡があります。
 平城遷都1300年記念事業では、平城京だけでなく飛鳥京、斑鳩京、長岡京、大津京、藤原京など奈良旧都の整備や、観光・芸能に向けての準備が進められるでしょう。

平城遷都1300年記念事業ホームページ
http://www.1300.jp/gaiyou/080212kgaiyo.html


次回は、(4)平安時代前期です。

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使用素材出典(フリー素材):

 BGM: 音楽工房 夢見月様
 写 真: アートワークス様 
 イラスト:夢幻華亭様
 紋 様: 十五夜様
      有職文様素材集・綺陽堂様

     フレーズ作成及び紋様とフレーズのディジタル合成: matiere(筆者)

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参考書籍 & Webサイト:

 「詳説 日本史」 山川出版社 高校教科書
 「ヒロインの日本史」 梓沢要著 ベスト新書 
 Webサイト フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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Copyright© 2007 Matiere




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