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zoom RSS 歴史を彩った女性のショートストーリー(日本編)〜(2)飛鳥時代

<<   作成日時 : 2008/02/10 14:12   >>

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歴史を彩った女性のショートストーリー(日本編)〜(2)飛鳥時代
                                    ●ショートストーリー作成:matiere



BGM: ♪綿津見幻想 ((C)音楽工房 夢見月様


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まほろばの里 大和三山の日没
関西フォトライブラリー様フリー写真


 日本史で「飛鳥時代」と呼ばれる時代区分は、諸説ありますが、欽明天皇が即位した531年
から、仏教が伝来した538年を経て、710年に元明天皇が平城京(奈良)に遷都するまでの、
約180年間をいいます。平城京で花開いた天平時代(奈良時代)に先行する時代であり、主と
して飛鳥地方に都があった時代です。

 この時代を美術史の面からみると、これも諸説ありますが、欽明帝即位の531年から大化改
新の645年までの前半期を「飛鳥時代」とし、大化元年の645年から、694年の藤原京遷都を
経て、710年の平城京遷都までの後半期を「白鳳時代」に区分されることがあります。
なお、白鳳時代は、日本史上の時代区分ではなく美術史上の時代区分です。

 前半期の飛鳥時代は推古朝に「飛鳥文化」が、後半期の白鳳時代は天武・持統朝に「白鳳文化」が華開いた時代です。

 飛鳥時代は物部合戦に勝利した蘇我氏が、強大な権力をふるった時代でもあります。日本最初の女帝、推古天皇も、見方を変えれば蘇我氏の政治力が生んだ結果ともいえそうです。
その後の15代の天皇のうち8代が女帝という、まさに「女帝の世紀」が始まったのも飛鳥時代だったのです。

 渡来系の血をひくといわれる蘇我氏は、旧体制にあった倭国=日本ではかなり先進的な視野を持っていたのでしょう。蘇我氏が中心となってすすめた仏教の招来、これも大陸のすすんだ文化を吸収しようとするひとつの政治の表われでした。聖徳太子と手を組んで、倭国を改革していった蘇我氏、飛鳥はそんな蘇我氏の香りに満ちたところでもあります。



推古天皇(すいこてんのう)
  
●摂政に厩戸迎えた推古帝 政治の基調に仏教据えて
        飛鳥斑鳩法隆寺 まほろばの里に華が咲く。


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斑鳩の夕景
関西フォトライブラリー様フリー写真

 

    【注釈】摂政:せしょう。事情がある場合に天皇を代理して国事行為を行う人のことで
           す。近代では裕仁親王(後の昭和天皇)が大正天皇の摂政に就いていまし
           た。
        厩戸:うまやど。厩戸皇子(うまやどのみこ)=推古天皇の摂政に迎えられた
           聖徳太子のこと。母が馬屋の前に来たときに出産したので厩戸の名がつい
           ています。
        飛鳥:あすか。現在の奈良県高市郡明日香村辺りを指す地域の名。
           「飛鳥」という文字は、どう見ても「あすか」とは読めませんが、
           「あすか」と読むようになったのは、万葉集で明日香の枕詞が「飛ぶ鳥」だっ
           たのが由来です。いつの頃からか枕詞の「飛鳥(とぶとり)」を 「あすか」と
           読むようになったといいます。
           推古天皇が飛鳥寺が創建し、飛鳥京の都が営まれました。
           推古朝を頂点として大和を中心に華開いた仏教文化を、飛鳥文化といいま
           す。     
        斑鳩:いかるが。現在の奈良県生駒郡斑鳩町。法隆寺のある太子ロマンの町。
           斑鳩は、イカルという鳥の名に由来を持ちます。
        法隆寺:ほうりゅうじ。奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山。
           別名:斑鳩寺。世界最古の木造建築。推古天皇と聖徳太子が、用明天皇
           の病を治すために建築を進めたことが始まりとされています。
           法隆寺とその周辺の寺院は、「法隆寺地域の仏教建造物」として1993年
           に日本で初めて世界文化遺産に登録されました。
        まほろば:「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の古語。
           その昔、倭建命(日本武尊=やまとたけるのみこと)が故郷を想い、
           「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる大和し美(うるは)し」
           (大和は国中で一番すぐれたところ。青い垣根のように連なる山々に囲ま
           れた大和は本当に美しいところ)と詠みました。古事記に採用されていま
           す。この歌から、大和のことを「まほろば」というようになりました。
           まほろばの里は、ここでは、奈良大和路の意味で書きました。
           現在の奈良県の奈良・斑鳩・飛鳥・橿原(藤原)・長谷・室生・吉野のあたり
           を言います。

    【説明】推古天皇が最初の天皇号を名乗ったという説と、天武天皇が最初の天皇号を
        名乗ったという説があります。
        推古帝が最初なら、厳密な意味での日本の初代天皇は女性です。
        日本史の飛鳥時代の始まりは説によってばらつきがありますが、一般的に推古
        天皇の即位を基準にしています。
        推古天皇は、政治の改革や、仏教文化を中心とした飛鳥文化を花開かせた
        名女帝でした。欽明天皇の皇女(娘)で、母は大臣蘇我氏の出。朝廷において、
        仏教排斥を強行する神道派と、仏教推進をする派閥間で仏教政争が悪化。神道
        派に加担していた穴穂部皇子(あなほべのみこ)より、破仏への加担と自らを
        次期大王候補者に推薦するよう要請されましたが、これを拒絶しました。
        大臣蘇我馬子と協議して朝廷運営の調整役を行ったと考えられます。甥の聖徳
        太子を摂政として政治を行いました。
    
        また、日本に伝来した仏教文化が本格的に華開いた時代でもあり、これを飛鳥
        文化といいます。
        公正な女帝の治世のもと、聖徳太子はその才能を十分に発揮し、
        冠位十二階・十七条憲法を次々に制定して、法令・組織の整備を進めました。
        また、推古二年に出された、三宝(仏・法・僧)を敬うべしという詔が示しているよ
        うに、女帝は聖徳太子や蘇我馬子と共に仏法興隆にも努め、斑鳩に法隆寺を建
        立させたりしました。
        推古十五年に小野妹子を隋に派遣し、翌年からは入隋の使節に学問生・学問
        僧を同行させました。

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額田王(ぬかたのおおきみ):
  
●切ない心の奥底を 万葉の歌に託して君に告ぐ
                額田の姫の恋のかけひき。



    【恋のかけひき】額田の姫とは額田王のことです。
        額田王といえば、恋多き女というイメージが強いですね。
        そういうように感じられる相聞歌(そうもんか)が、万葉集巻一の冒頭に近い部分
        に載せられています。
     ―額田王が詠んだ歌
       茜さす紫野(しの)ゆき標野(しめの)ゆき 野守は見ずや君が袖ふる
       【注釈】紫草の生える野を、狩場の標を張ったその野を行きながら、そんなことをなさ
        って野守(野の番人)が見るではございませんか。あなたが私の方へ袖を振って
        おられるのを。 
     ―皇太子大海人皇子(おおあまのみこ)の御返歌
       紫のにほへる妹を憎くあらば 人妻故に吾(あれ)恋ひめやも
       【注釈】あなたがあまり美しいので、つい恋心を抑えきれなかったのだよ。いまはもう
        人妻だからといって、どうして思い切れるものか。

        これは天智天皇が群臣とともに蒲生野に狩をした時に、額田王と皇太子・大海
        人皇子(おおあまのみこ:のちの天武天皇)との間に交わされた相聞歌です。
        恐らくは、皇子のほうから先にモーションを仕掛けたのでしょう。
        額田王が、こんなところで袖などお振りになると、野守にとがめられますよと、
        たしなめると、皇子のほうでは「紫のにほへる妹」を恋わずにはいられないといっ
        て返します。このやりとりが狩の野を背景にした切ない恋のかけひきを感じさせ
        ます。

        大海人にしてみれば、偽りのない気持ちを述べたのでしょうが、歌の出来からい
        っても、この2首は比較になりません。
        額田王の歌の調べの心地よさ、格調の高さ、慕い寄る男を軽くたしなめるその
        自負心など、すべてにおいて額田王がはるかに優っています。それに比べれ
        ば、大海人の返歌は、愚痴と言い訳にしか聞こえません。偉大な戦略家・政治
        家である大海人も、額田王の前では、恋に悩む一人の凡夫でしかありませんで
        した。

        それでは額田王の心は、もうすっかり大海人から離れて天智帝に移っていたか
        というと、必ずしもそうではないらしいので、話がややこしくなってきます。
        おそらく最初の恋人であり、その人の子まで生んだ大海人の面影は、額田王の
        胸中から容易に拭い去られはしなかったとみえます。額田王のその気持ちは、
        いつか大海人にも伝わったので、大海人としてはいっそう、額田王に未練が残る
        ことになります。

        古代の恋人たちはおおらかで、後世のように女の操をやかましく、云々すること
        はありませんでした。それにしても、帝の愛人とわかっている女性に、おおっぴら
        に通うわけにはいきません。
        大海人は一人、悶々としなければなりませんでした。
 
        大海人と額田王は若い頃に結婚し、子まで設けていた間柄なのです。
        しかし、大海人の兄たる天智天皇が額田王を見初め、自分の妻にしてしまった
        ため、二人は引き裂かれてしまいました。
        そんな切なさが、狩という開放的な雰囲気に接して、昔の思い出を呼び寄せた
        のかもしれません。

        とはいえ、額田王は、新しい夫たる天智天皇に対しても、愛の溢れる相聞歌を贈
        っています。
      ―額田王が詠んだ歌
        君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く
       【注釈】あなたが早くおいでにならないかと、恋しくお待ちしていると、我が家の簾が
        そよそよと動きあなたかと思ったけれど、お姿はなく、秋風が吹くばかり。

        秋の日暮れ時、額田王は愛人の天智帝を待ちわびていました。2〜3日、帝が
        姿を見せないので、今夜あたり、見えそうな予感がする。
        ふと、部屋の戸口にかけた簾が動いた。恋しい人の訪れかと、胸が高鳴った
        が、それは風のいたずらに過ぎなかった。額田王は思わずつぶやいた。その
        つぶやきが、上記の歌です。
        「あの方を待って焦(じ)れていたら、まあ、風に騙されてしまったわ」という意味
        です。

        この時代の結婚は、夫婦同居ではなく、男が女のもとに通うという、妻問婚で
        した。それは、天皇はじめ皇族にあっても同様だったようです。だから、夫の来る
        のを待つ女の心を詠んだ歌は、相聞歌の中心をなすものでした。 
        そもそも、日本に和歌というものが生まれ、それが広がっていったきっかけは、
        このような結婚の形態がもたらす、相聞のやりとりにあったとも思われます。

    【説明】額田王は、斉明朝から持統朝に活躍した日本の代表的な女流万葉歌人です。
        額田王は、万葉集においてひときわ光芒を放つ存在でありましたし、繊細で率
        直な感情の表出は、斬新なものであったといわれています。
        『日本書紀』によると、鏡王(かがみのおおきみ)の娘で、恋愛関係にあった大海
        人皇子(のちの天武天皇)と結婚し、十市皇女(とおちのひめみこ)を生んでいま
        す。
        飛鳥に咲いた一輪の花。スキャンダラスな謎多き女性・額田王は、日本のクレオ
        パトラと言ってもいいでしょう。


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    リンク: 恋の和歌とイラスト 〜 あかねさす紫野行き標野行き


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飛鳥(明日香村)
飛鳥フリー写真



持統天皇(じとうてんのう):
  
●持統帝 大和三山あおぎ見る藤原の里に宮都建て       
        朱雀大路を中にして白鳳ロマンの夢をみる。


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藤原京跡に咲くコスモス(奈良県橿原市)
撮影者:ポンちゃん


    【注釈】大和三山:やまとさんざん。奈良盆地南部、飛鳥周辺にそびえる3体の山々の
           総称。耳成山(みみなしやま)・畝傍山(うねびやま)・天香久山(あまのか
           ぐやま)の3つの山。奈良県橿原市(かしはらし)を代表する景観であり、
           万葉集にも詠われています。
         藤原: 現在の橿原市。日本最初の本格的な都。これを「藤原京(ふじわらきょ
           う)」と呼びます。藤原京の中心、すなわち都の中心には「藤原宮(ふじわら
           のみや)」がありました。ここを舞台にして、律令政治が整い、白鳳文化が
           花開きました。
         宮都:きゅうと。政権の所在地。
         朱雀大路:すざくおおじ。藤原京のメーンストリート。藤原京は南北に通る朱雀
           大路を中心に、碁盤の目のように道を通した方形(条里制)の都市でした。
         白鳳:はくおう。白鳳という名前は、天武天皇の時代に白い雉(きじ)が献上さ
           れて、これを奈良時代の人々が、中瑞(ちゅうずい)の雉(きじ)よりも大瑞
           (だいずい)の鳳(おおとり)の方が良いと願って、「白鳳」と呼ぶようになっ
           たと言われています。
           白鳳文化は、飛鳥藤原京を中心に栄えた文化であり、大化の改新から
           平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化です。
           白鳳文化は、法隆寺の建築・仏像などによって代表される飛鳥文化と、
           東大寺の仏像、唐招提寺の建築などによって代表される天平文化との
           中間に位置します。
   

    【説明】  持統天皇は、日本の第41代天皇で女帝です。
          持統というのは後から付けられた名前であり、
          名は鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)といいました。
          タレントの「神田うの」さんの名前は、お父さんが持統天皇のファンだそうで、
          持統帝の「うの」という名前をつけたそうです。          
          持統天皇は、天智天皇の皇女(娘)で、13歳の頃、大海人皇子(おおあまの
          みこ:のちの天武天皇)に嫁ぎました。
          かつて額田王と恋仲にあった大海人皇子はすでに27歳で、額田王との間に
          十市皇女(とおちのひめみこ)をもうけていました。
          持統天皇は、その大海人皇子との間に草壁皇子(くさかべのみこ)をもうけま
          した。

          天智天皇の晩年には、皇位継承をめぐって夫・大海人皇子と 父・天智天皇
          の仲が悪化。大海人皇子は東宮(皇太子)を辞し、天智の死後は吉野に逃
          れました。持統帝はともに吉野へ落ち、大海人皇子と天智天皇の太子大友 
          皇子(おおとものみこ)とで争われた壬申(じんしん)の乱まで吉野で過ごしま
          した。大海人皇子が勝利し、大和の飛鳥浄御原(あすかきよみはら)で即位
          して天武天皇となりました。大和朝廷がそれまでの倭に替えて「日本」という
          国号を使いはじめたのは天武帝の御代であろうとされています。

          天武帝の死後、妻の持統が天皇に即位しました。持統帝は、天武帝の遺業
          を受け継ぎ、飛鳥浄御原令を施行、庚寅年籍(こうごねんじゃく=戸籍)を作
          るとともに、藤原(現在の橿原市)に整然とした、 碁盤の目のような道を持つ
          新しい町である宮殿(藤原宮)を造営し、ここに遷都しました。
          藤原宮は、唐の都城制度を模倣し長安をモデルにした、我が国で初の本格
          的都城です。大化改新以来の古代律令国家の建設はほぼ完成しました。

          飛鳥の高松塚古墳から石舞台古墳を目指していく途中の丘の上に、天武・
          持統天皇陵があります。


      ―万葉集に掲載されている持統天皇の和歌です。
        飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ
       【注釈】明日香の里をあとにして藤原の新しい都へ去って行ったなら、あなた(天武
          天皇)の眠っておられるあたりは見えなくなってしまうのでしょうねえ。

      ―新古今集・百人一首などにも採られている持統天皇の和歌です。
        春過ぎて夏来るらし白妙の  衣乾したり天の香具山
          「春過ぎて」の歌は、古来名歌とされました。

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石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳などの他、大和三山など多数の遺跡が残っている飛鳥地域は、昨年2007年1月に、日本政府によって、ユネスコの世界遺産登録を目指し、世界遺産暫定リストに「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として登録されました。

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飛鳥 石舞台古墳
関西フォトライブラリー様フリー写真




次回は、(3)奈良時代です。

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使用素材出典(フリー素材):

 BGM: 音楽工房 夢見月様
 写 真:関西フォトライブラリー様
 紋 様:十五夜様

     紋様と文字のディジタル合成: matiere(筆者)

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参考書籍 & Webサイト:

 「詳説 日本史」 山川出版社 高校教科書
 「歴史を彩った悪女、才女、賢女」 安西篤子著 講談社(昭和60年刊) 
 Webサイト フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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Copyright© 2007 Matiere



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