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zoom RSS この紋所が目に入らぬか! 〜 大徳川展

<<   作成日時 : 2007/11/26 01:12   >>

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東京国立博物館 特別展
「大徳川展」
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http://www.daitokugawa.com/
2007/10/10(水)〜12/2(日)
上野公園 東京国立博物館 平成館
「大徳川展」は大好評につき、土・日曜日の開館時間が延長されました。
11月24日(土)・11月25日(日)・12月1日(土)・12月2日(日)の各日は
9:30〜19:00までの開館となりました(入館は18:30まで)。


11月24日、上野の東京国立博物館で催されている人気の「大徳川展」に行ってきました。
博物館前は1時間待ちの長蛇の列でした。2時間位かけて、ゆっくり見学してきました。
来場者の数は倍、倍、さらに倍と増えていき、モノを見に行ったのだか、人を見に行った
のだか、よくわからないほどの盛況でしたが、映画やテレビと違って本物に出会えました。
甲冑ファン、刀剣ファン、和子ファン、和宮ファンなど来場者の範囲は幅広く、いろいろ楽しめる
宝物が並んでいました。

凄まじいほどの来場者数でしたが、観るべき価値は、十分にありました。

徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家をはじめ全徳川家、
さらに久能山・日光・紀州の東照宮、また寛永寺や増上寺といった徳川家ゆかりの地に
伝えられた宝物が一堂に集結されていました。
徳川将軍家と尾張・紀伊・水戸の御三家の名宝が一堂に公開されるのは初めてだそうです。
主催は、東京国立博物館、徳川記念財団、徳川黎明会、水府明徳会等です。

徳川家康が征夷大将軍に任じられた慶長8年(1603年)から260年間続いた江戸時代、
徳川家は武家の棟梁にふさわしい文化・伝統を築き上げてきました。
「大徳川展」では、【将軍の威光】【格式の美】【姫君のみやび】という三つのテーマ構成で、
徳川家ゆかりの作品や太平の世に開花した近世美術・工芸の粋が多角的に紹介されました。

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征夷大将軍 徳川家康
家康は慶長8年(1603年)2月12日に征夷大将軍に任命された


若い女性の来場者が多かったのにも驚きました。
「姫君のみやび」の会場では、女性の来場者の視線を集めていました。

大徳川展は、徳川家に伝わる宝物や歴史史料300点余りを展示したもので、
かつて尾張徳川家が所有していて、現在、名古屋の徳川美術館に所蔵されている国宝の
「源氏物語絵巻」や、徳川家康が身につけた重要文化財の鎧「歯朶具足(しだのぐそく)」、
「この紋所が目に入らぬか!」で有名な水戸黄門こと徳川光圀所用の三葉葵の紋の印籠、
家光の長女千代姫の調度「初音蒔絵調度」、来年の大河ドラマ 「篤姫」の天璋院(篤姫)所用
の萌黄色の地に紫色の花という斬新な色合いの「萌黄地葵唐草筥牡丹文二陪織小袿」
(もえぎじあおいからくさはこぼたんもんふたえおりこうちぎ)という着物、皇女和宮内親王が
将軍家茂(いえもち)に降嫁する前に着用または所持していた可能性が高いとされる「白綸子
地雲立涌菊折枝文打掛(しろりんずじくもたてわくきくおりえだもんうちかけ)」(初公開)、和宮
の婚礼衣装や調度品などが並び、東京国立博物館は、まさに宝物殿でした。

第1会場には「徳川家康」所有だったものを中心に甲冑や刀類、掛け軸、茶器、古文書などが
展示。見応えは十二分にあるのですが、皆さん展示物に見入って列がなかなか進まない。
時間をかけて観賞しました。
第2会場には「姫君のみやび」で女性が中心。
入ってすぐのところに、綱吉の御台・信子が輿入れに使ったという籠がドーンと展示してあり、
これには驚きました。それに各姫君の婚礼調度品の豪華絢爛の数々に圧倒されました。
お金持ちだったんですね、徳川家は!
 
最後に、将軍家茂が妻和宮にお土産として買ったあの西陣織の本物がありました。
その西陣織のエピソードです。家茂は長州征伐のために京都行きが決まると、和宮に故郷の
土産は何がよいかと訊ねたところ、和宮は西陣織をねだりました。しかし家茂は21歳の若さで
突如、大阪城において病気で亡くなったのですが、江戸に帰ってきた夫の亡骸とともに、和宮
のもとに届けられたのは、この西陣織物でした。
和宮は届いた西陣織を前にして悲しみつつ歌を詠みました。
  「空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」

以下、展示品をいくつかみてみましょう。

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徳川美術館蔵 国宝「源氏物語絵巻東屋一」
名古屋市の徳川美術館と世田谷区の五島美術館に
源氏物語絵巻の一部分が現存する。


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徳川家康の鎧
重要文化財 「歯朶具足 徳川家康所用」
家康が着用し、関ヶ原や大阪の陣で勝利をおさめた吉祥の鎧


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黄門様の印籠
「黒地葵紋蒔絵印籠 徳川光圀所用」
儀式の時などに徳川光圀が所用していたと伝えられる
三つ葉葵の紋が金蒔絵であらわされた印籠。
なお、水戸黄門諸国漫遊記というのは講談師による作り話である。


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国宝「初音蒔絵調度」
3代将軍家光の長女千代姫が、尾張徳川家2代光友に嫁いだ際持参した調度。
名称は『源氏物語』の「初音」の帖に由来している。


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和宮(静寛院宮)所用「旅櫛箱村梨子地葉菊紋散蒔絵」
皇女和宮の婚礼調度品としてつくられたもの。
旅先で必要な最小限の用具類が、効率よく収納された携帯用の化粧箱


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白綸子地雲立涌菊折枝文打掛
和宮が降嫁する前に着用または所持していたとみられる打掛


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萌黄地葵唐草筥牡丹文二陪織小袿
天璋院所用の小袿(こうちぎ)


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家茂の亡骸とともに和宮のもとに届けられた西陣織


凄かったのが、実物の太刀です。刀の展示コーナーでは、身動きがとれないほどの混雑でした。
名刀正宗(まさむね)や名刀長光(ながみつ)などの超一級の名刀の数々を
目の当たりに見ました。
鎌倉時代から伝わる実物が、なんと目の前に! めちゃめちゃ綺麗。

正宗は、鎌倉時代末期の刀工第一ともいえる名工で、相模に伝わる「相州伝」と称される
作風を完成させたことから、相州正宗とも呼ばれます。
名工・相州正宗の作品である「名物観世正宗」は、江戸時代初期の観世流能楽師で
徳川家の楽頭職であった観世黒雪(かんぜこくせつ)の所持にちなみます。
徳川家康が黒雪から召し上げ、徳川秀忠の代に息女千姫(豊臣秀頼室、後に本多忠刻室)
の輿入れに際して本多家に持参。後に徳川将軍家に戻り、徳川慶喜が有栖川宮に献上しま
した。東京国立博物館に所蔵されており、国宝になっています。
名刀正宗の刀の部分の波模様の美しさ、刃先の繊細さは、まさに芸術品でした。

長光は、鎌倉時代の備前国長船(おさふね)派の刀工。長光の代表作として古来名高い
名刀「大般若(だいはんにゃ)長光」は、足利第13代将軍足利義輝から重臣三好長慶に
下賜され、織田信長の手を経て姉川の戦いの功により徳川家康へ、さらに長篠の戦いの
戦功として奥平信昌に与えられ、後に家康の養子になった武蔵国忍藩藩主松平忠明に
伝えられました。国宝であり、現在は東京国立博物館に所蔵されています。
研ぎ澄まされたこの名刀長光は、鋭い光を放って燦然と輝いていました。

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名刀 正宗
国宝 相州正宗(名物 観世正宗):東京国立博物館蔵


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名刀 長光
国宝 大般若長光:東京国立博物館蔵


歴史に興味がない人も、きっと満足できると思われるイベントでした。

以下、転載です。

■ 展覧会の構成

第1章 将軍の威光

 武将の象徴である武器武具、家康が愛用した品々、家康を神格化した東照宮御影、さらには朝廷や諸外国との交流を伝える歴史資料など徳川家に伝わる品々で将軍の権威・権力の実像を紹介します。

第2章 格式の美

 天下一とも称えられた大名物の肩衝茶入「初花」「新田」を、史上初めて同時公開。また王朝絵画の至宝「源氏物語絵巻」も出品されます。名物茶道具や絢爛豪華な能装束、絵画・書跡の名品の数々で、洗練された武家の美意識をご堪能ください。

第3章 姫君のみやび

 「国宝 初音蒔絵調度」に代表される姫君の華麗な婚礼調度と絢爛たる衣装など、工芸の傑作をお楽しみいただきます。


以下、私のブログサイトの他のページからのコピーです。
今、徳川家の子孫は

 徳川の現在の子孫は、「徳川・松平一門の会」に所属し、会員数は約600名とのこと。
本稿執筆時点での徳川各家の当主は以下の通りである。

徳川宗家(将軍家) :現在、徳川家広氏が第19代当主。慶應義塾大学経済学部卒業後、ミシガン大学で経済学修士号とコロンビア大学で政治学修士号を取得され、現在、経済書籍の翻訳に携わっておられる。父親は第18代当主の徳川恒孝氏で日本郵船顧問、徳川記念財団理事長。祖父は保科正之を祖とする徳川家御家門・会津松平家分家の松平一郎氏で、現・三菱東京UFJ銀行会長。祖母は徳川第17代当主徳川家正氏の娘・豊子さん。
徳川慶喜家(宗家別家) :徳川慶朝氏が第4代当主。写真家兼静岡文化芸術大学講師、コーヒー研究家。平成16年に亡くなられた高松宮妃喜久子様は、徳川慶喜家第2代当主の徳川慶久氏の次女。

主な徳川親藩は以下の通り。
尾張徳川家(御三家) :徳川義崇氏が第22代当主。豊島区目白の財団法人徳川黎明会会長。
紀伊徳川家(御三家) :徳川宜子氏(女性)が第19代当主。建築家、東京建築士会評議員、東京YMCAデザイン研究所講師。
水戸徳川家(御三家) :徳川斉正氏が第15代当主。水戸の水府明徳会(徳川博物館)の理事長。
一橋徳川家(御三卿) :徳川宗親氏が第14代当主。水戸で施設園芸農業自営。
田安徳川家(御三卿) :徳川宗英氏が第11代当主。石川島播磨重工業関西支社長を経て、現在、全国東照宮連合会顧問、社団法人霞会館評議員、社団法人尚友倶楽部評議員。
清水徳川家(御三卿) :徳川豪英氏が第9代当主。
越前松平家(御家門) : 徳川家康の次男結城秀康の子孫。
会津松平家(御家門) : 第2代将軍徳川秀忠の庶子保科正之の子孫。
越智松平家(御家門) : 第6代将軍徳川家宣の弟松平清武の子孫。
御家門については、資料の手持ちがないので、現在の当主名の記載は省く。分家は多数あり、NHKの元キャスターの磯村尚徳氏と現キャスターの松平定友氏は、徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする伊予松山藩久松松平家の分家の子孫で、いとこどうし。

御三家(ごさんけ)は、徳川宗家存続のために家康が遺したもので、宗家に次ぐ地位の尾張・紀州・水戸の徳川3家を指す。尾張家・紀州家は、将軍に継嗣のない際に将軍の後継者を提供する役割を担った。水戸家は、将軍家を継ぐことはできなかったが、江戸常勤の任務(定府の制:じょうふのせい)があり御三家とされた。御三卿(ごさんきょう)は、8代将軍吉宗の系統の田安家・一橋家・清水家の徳川3家を指す。将軍に継嗣のない場合、この血筋からも将軍職を継ぐことができるようになった。水戸家からは将軍は出さない原則であったが、一橋慶喜は水戸家出身でありながら、第十五代将軍に就任した。これは、あるとき一橋家に男子が生まれなかったので、男子が沢山いた水戸家から養子にもらったものである。あくまで一橋家から将軍を出したのであって、水戸家から将軍を出したわけではない。御家門(ごかもん)は、徳川親藩の中で、御三家・御三卿以外の家柄。御家門は徳川家康の旧姓である松平姓を名乗ることを許された。 徳川家康はもともとは松平姓であったが、三河統一に伴い、先祖得川義季の名字を復活させるとの名目で、松平から徳川に姓を改めている。徳川を名乗るのは徳川本流の家柄のみとされ、親戚筋の家は御家門と言われ、松平姓のままとされた。

この紋所が目に入らぬか!

水戸黄門として今も親しまれている水戸藩第2代藩主徳川光圀公は、徳川御三家の一つ水戸徳川家の祖・頼房(よりふさ:徳川家康11男)の三男として水戸城下で生まれました。
黄門さまが助さんと格さんを伴って、諸国を旅しながら世直しをするという話がテレビドラマなどで広く親しまれています。クライマックスの部分を引用します。

> 助さんが叫びます。
> 「刀を納めい、皆の者。」そして右手で印籠を胸元から取り出すと、
> 高らかに掲げ、続けます。
> 「この紋所が目に入らぬか。ここにおわす御方をどなたと心得る。」
> 一同、印籠を見上げます。そこにはあの徳川三つ葉葵のご紋所が。
> 格さんがその後を続けて、
> 「こちらにおわすは、先の副将軍水戸光圀公であらせられるぞ。
> 頭が高い。控えおろう。」

これは『水戸黄門諸国漫遊記』の中の口上ですが、史実ではなく、幕末になって、講談師(氏名は不明)が十返舎一九作の滑稽話『東海道中膝栗毛』などを参考にして創作したと考えられています。内容は、光圀公がお供の俳人を連れて諸国を漫遊して世直しをするというもので、大変な人気作となりました。明治になると、大阪の講釈師玉田玉知が、お供を俳人ではなく家臣の佐々木助三郎(介三郎、助さん)と渥美格之進(格さん)とする話に膨らませて、二人を連れて諸国を漫遊する庶民の味方・水戸黄門に仕立てたものです。これがさらに人気を呼びました。しかし、実際には光圀公は諸国漫遊の旅などしていません。

ただ、光圀公が晩年を過ごした隠居所である西山荘(茨城県常陸太田市)に近い久昌寺に、諸国を巡歴する虚無僧や山伏が泊まった時、光圀公は好んで彼らが見聞きした情報を聞いたという事実はあったようです。光圀公が最も長旅をしたのは、まだ隠居をする前に、神奈川の藤沢から江ノ島、日光、勿来関、八溝山、銚子、勝山などを歩いたという記録があり、また、隠居後の元禄8年(1695年)、江戸から房州の市川、中山、成田などを経て水戸城に入ったということもありました。

諸国漫遊する黄門さんのお供は助さん、格さんですが、この2人のモデルはあったようで、助さんは佐々宗淳、格さんは安積覚といい、ともに光圀公が江戸小石川の水戸藩上屋敷彰考館で『大日本史』を編集されたとき仕えた史臣(歴史編纂をした人々)のなかで総裁をつとめた学者だったそうです。光圀公は彰考舘の史臣たちを全国各地に派遣して、史臣たちは史料を求めて旅をしました。これが後に『水戸黄門漫遊記』として脚色されることになります。史臣は多いときには60名近くもいました。

ちなみに、「黄門」という呼び名は、光圀公が隠居したときに朝廷から与えらた官位「権中納言」が、唐代の官職「黄門」に相当することによります。

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内 容 ニックネーム/日時
やはり日本刀は、吸い込まれるような美しさがありますね!こんな凄い刀で達人に斬られたら、自分が斬られていることに気がつかないかも・・・?
いい仲間の会/大川
2007/11/27 11:45

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