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zoom RSS 【伝説】キング・アーサー (アーサー王伝説)

<<   作成日時 : 2007/03/25 15:31   >>

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キング・アーサー (KING ARTHUR)


2004年8月に見た映画「キング・アーサー」にまつわる話です。
映画「キング・アーサー」は、イギリスに伝わる伝説「アーサー王と円卓の騎士」を描くアクション作品です。

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  主な出演
クライヴ・オーウェン Clive Owen アーサー
キーラ・ナイトレイ Keira Knightley グウィネヴィア

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「キング・アーサー」は、
ファンタジー小説の源泉であり、西洋史上最大の伝説である
「アーサー王と円卓の騎士」を描いた作品。
円卓の騎士、宝剣(エクスカリバー)・・・ケルト神話「アーサー王伝説」。
その神秘性ゆえに、今なお人びとの心を魅了してやまない。
今、その伝説が再び鼓動を開始する。
全世界を揺るがす世紀の映像プロジェクト、始動!
                         ------映画「キング・アーサー」のPR文より

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アーサー王のお話を、伝説のストーリーを交えて、少々・・・・
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http://island.site.ne.jp/fairy/stories/arthur.html


「アーサー王と円卓の騎士」は、通称「アーサー王伝説」といいます。
アーサー王伝説については、日本ではポピュラーではありませんが、
西洋史上最大の伝説であり、ファンタジー小説の源泉です。

アーサー王は、5世紀ころイギリスで活躍したとされる人物です。
イギリス救国の英雄として、
その武勇や騎士道精神、冒険、魔術、華々しい宮廷生活、ロマンスなどが、
広く西ヨーロッパ一帯に伝説として残されています。
とりわけ騎士道精神は全編を通じて色濃く表現され、
西欧独特の精神文化の形成に大いに貢献しています。

私がはじめてアーサー王伝説を知ったのは、
1975年(昭和50年)に発売されたLPレコード、
イギリスのプログレッシブ・ロックバンド「イエス (YES)」のキーボード奏者だった
リック・ウェイクマン (Rick Wakeman) のロックアルバム
「アーサー王と円卓の騎士たち」でした。

そのLPは、今でも手元にあります。
アーサー王伝説と言う壮大なコンセプトに、
リックのとことんロマンチックなサウンドが絡み合い、
豊穣な音楽が全編に響き渡っています。
雄大なオーケストラ、力強いロック・バンドに絡む
超絶技巧のリックのキーボードが響きます。

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手持ちのLPレコード
リック・ウェイクマンのロックアルバム
「アーサー王と円卓の騎士たち」
KING 品番 GP-230



冒頭に、イギリスに伝わる伝説「アーサー王と円卓の騎士」と書きましたが、
正確に言えばケルト(Celt)に伝わる伝説、すなわちケルト神話(Celtic Mythology)です。
ケルト神話とは、イギリスのブリテン島(Britain)とアイルランド島(Ireland)の
ケルト人(Celts)に伝わる神話群をいいます。

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ここで、イギリスの地名と民族について・・・・

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上の地図の右側の島を「大ブリテン(Great Britain)島」、
左側の島を「アイルランド(Ireland)島」といいます。

日本語では「イギリス」という名称を、国名として使っていますが、
それは、日本人が勝手に名づけたものであって、
実際には「イギリス」という名前はありません。
日本語で「イギリス」といっているのは、
「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」の
4ヶ国の連合国家(実際には、4ヶ国+いくつかの小島)のことです。

すなわち、日本でいう「イギリス」とは、
「連合王国(ユナイテッド・キングダム United Kingdom:略称 UK)」のことで、
正式な国名を「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」といいます。
英語で書くと、「the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」となります。

グレートブリテン島と、アイルランド島の北の方のイギリス(連合王国)に属する部分を
一纏めにしたのがユナイティッド・キングダムです。
グレート・ブリテンは、イギリス本島だけを指し、
イングランド、スコットランド、ウェールズの3つの国の総称です。
島が違う北アイルランドは含まれません。
ユナイティッド・キングダムは
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4カ国の連合国です。

グレートブリテン島に住む人たちがブリトン人=ブリティッシュ、
その中には、イングランド地方に住むイングランド人=イングリッシュ、
スコットランド地方に住むスコットランド人=スコティッシュ、
ウェールズ地方に住むウェールズ人=ウェルシュがいるわけです。

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ケルト人とは、一言で言えば、ヨーロッパ大陸の先住民のことです。
ケルト人は、オーストリア、ドイツ、スイスのアルプス地方を原郷に、
紀元前5世紀前から、ヨーロッパ全土に広がっていた先住民族でした。
ローマ帝国(Roman Empire)に追われるまで、ヨーロッパ全域がケルト文化圏で、
広大な地域に居住していました。

しかし、紀元前1-2世紀にローマ帝国に征服され、
続くゲルマン民族(The Germans)にも追われ、
西へ西へと、現在のアイルランド(Ireland)、スコットランド(Scotland)、
ウェールズ(Wales)、コーンウェル(Cornwall)、ブルターニュ(Bretagne)など、
ヨーロッパ最西端に辿り着き生き延びた民族です。
言語はインド・ヨーロッパ語のケルト語派に属しています。

ケルト人を征服したローマ人(Romans)は、ヨーロッパ大陸のケルト人を「ガリア人(Gauls)」、
大陸からブリテン島(イギリス)に渡ったケルト人を「ブリトン人(Britons)」と呼ぶようになりました。

ローマの支配をきらった大陸のケルト人は、大陸を脱出し、ブリテン島に渡りました。
歴史的にみれば、ブリテン島には、石器時代からすでに人類が住んでいました。
ロンドンから100km以上離れたソールズベリー平原(Sallsbury)に、
ストーンヘンジ(Stonehenge)という遺跡があります。
これは古代ブリテンに定住したブリトン人の文化的遺産です。
5000年以上もの昔に造られたパワフルでユニークな巨石遺跡であり、
イギリスの観光地になっています。

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ストーンヘンジ(Stonehenge)
http://www.bouletfermat.com/backgrounds/stonehenge.html


ケルト人は、紀元前5世紀頃より数回にわたって、大陸からこのブリテン島に侵入しました。

ローマの支配から逃れて侵入したケルト人がブリトン人と呼ばれたため、
ケルト人が住み着いたイギリスの土地は、ブリテン(Britten)と呼ばれました。
ブリテンは、ラテン語でブリタニア(Britannia)といいます。

ケルト系ブリトン人は、シーザー(Caesar:カエサル)のローマ軍と戦いましたが、
ついにはローマ帝国に組み込まれました。
そこで、"島のケルト"として、独特の文化が形成されていきました。

やがて、ローマ帝国が衰退するにつれ、ローマ軍は大陸へ撤退せざるを得なくなり、
その空白を縫って5世紀頃、
ゲルマン人(Germanis)の部族であるアングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)が、
大陸からブリテン島に侵入し(ゲルマン民族大移動)、 イングランドを支配しました。
アングロ・サクソン人とは、ゲルマン民族の部族である
アングル人(Angles)、サクソン人(Saxons)、ジュート人(Jutes)の総称です。

ゲルマン民族の大移動は、4世紀に、中央アジアにいた
「泣く子も黙る」遊牧騎馬民族のフン族(Huns:現在のハンガリー人の祖)が、
何らかの原因(気候の変化ともいわれていますが、真因は不明)で西進し、
ヨーロッパに侵入したのが始まりだといわれています。
フン族は、黒海北岸に定住していたゲルマン民族の部族・東ゴート族を、西暦375年に征服しました。
となりの西ゴート族は、これを逃れ、大挙してドナウ川を渡り、ローマ領内に侵入して保護を求めました。

この事件をきっかけに、以後2世紀に及ぶゲルマン民族の大移動が起こるのです。
このフン族の侵入がもとで、もともとバルト海沿岸を原住地としていたゲルマンの
諸部族(現在のドイツ人やノルウェー人の祖)は、驚いて西に逃れ、
ヨーロッパ大陸の先住民族だったケルト人を襲って、
ケルト人の土地や食糧を略奪しながら南下するという
未曾有の民族大移動を行なったのです。
大移動といっても、単に住む場所を変えたということではなく、
他民族の領土への大侵入・他民族の大虐殺のことをいっているのです。

英語でゲルマンを Germanisch と書きますが、
英語で書くドイツの国名 Germany(ジャーマニー) の語源はゲルマンです。
国名からわかるように、ドイツはゲルマン民族が作った国です。
といっても、ゲルマン民族が作った国はドイツだけではありません。
ゲルマン民族は、主に現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に住んでいた
インド・ヨーロッパ語系の民族の集団で、
現代のドイツ・オーストリア・オランダ・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク等に住む人々、
つまりアングロ・サクソン人がこの集団の系譜を引いています。

ゲルマンという名前は、ローマ帝国の人達が、外部からこれら複数の民族に対して与えた名称でした。
"ゲルマン"は、"民族の"という意味のラテン語であり、
ローマ人が彼らを一括して異民族と認識し、ゲルマンと名づけたのです。
なお、ドイツ人自身は自国のことを、Germany(ジャ−マニー:ゲルマン)とは呼ばず、
Deutschland (ドイッチュラント)と呼んでいます。
Deutsch は、ドイツという国を作った人々が、自ら名乗り始めた名前です。

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http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/north-e/consideration2.htm


このゲルマン民族大移動により、
イングランドは、全面的にアングロ・サクソン人の支配下に入り、
ケルト人(ブリトン人)は虐殺されていきました。
支配といっても、ブリトン人を服従させるつもりはなく、
ブリトン人の食料・所有物を奪うことが主な目的でした。
そのため、ブリトン人は何のためらいもなく殺されていったようです。
その様子は、まるでブリトン人の絶滅を目指すがごとく、
アングロ・サクソンが制圧した土地では、ほとんどのブリトン人が虐殺されました。

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ブリトン人とアングロ・サクソン人との戦い
British Romano-Celts Corner a Saxon Invader by Angus McBride
http://members.aol.com/_ht_a/skyelander/celts11.html


生き残ったブリトン人は、ブリテン島の西のウェールズ、コンウォール、
北のスコットランドに追われていき、
あるいは大陸に亡命してフランス北部に逃れていきました。

コンウォールは、ブリテン島の一番西の端の太西洋につきでた半島の先の部分です。
妖精物語とケルト神話とアーサー王伝説の伝わる不思議な場所です。
イギリス国内有数の観光地になっています。

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地図左下の半島が、コンウォール


このコンウォールに、「ティンタジェル城(Tintagel Castle:ティンタージェル城)」という城があります。
海岸沿いに古い城壁が残り、アーサー王の居城だったのではないかとされていますが、
実際にはアーサー王よりもかなり後世に立てられたことが判明しているそうです。
ティンタジェル城の断崖には、
「マーリンの洞窟(Merlin's Cave)」と呼ばれる自然の洞窟があります。
アーサーはコーンウォールの美女イグレーヌ(Igrene:イグレイン)から
生まれたという伝説と、浜に流れ着いたという伝説があります。
マーリンの洞窟は、浜辺に流れ着いたアーサーを、
魔術師マーリンが拾い上げた場所とされています。


ブリトン人が逃れてきたフランス北部の地域を、
ブルターニュ(仏 Bretagne/英 Brittany)と呼びました。
ブルターニュは、ブリタニア(Britannia)のフランス語形です。
フランス主要部の風俗・風習は、ローマの遺産の上に、
ゲルマン民族の一派フランク人(Frank)が形成したものですが、
ブルターニュの風俗・風習は、フランス中央とは全く異なり、
ケルト系の風俗・風習が強く残っています。

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フランスの地図
左上が北フランスのブルターニュとノルマンディー


5世紀には、北フランスのノルマンディー(Normandy)地方から
多くのノルマン人(Normans)がイギリスに侵入し、定住することになります。
しだいにノルマン人の貴族が、アングロ・サクソン人を支配する体制ができあがりました。
今日のイギリス人およびイギリス文化は、こうして形成されていきました。

被征服民であるケルト人を祖先とするブリトン人は、
アイルランドやスコットランド、ウェールズ、コンウォール、
そしてフランスのブルターニュなどに、多く住んでいます。

アイルランドやスコットランド、ウェールズ、コンウォールに住むケルト人の間では、
今も、イギリスにおいて自治権の拡大運動や独立運動があります。


ケルトについては、下記アドレスのサイトも参照して下さい。
http://homepage3.nifty.com/fee/celt1.htm

ケルトは、妖精伝説や多くの民話・神話、
また独特な幾何学模様によるキリスト教美術で知られています。

ファンタジー小説「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」の
原作者のトールキンは、ケルト神話や北欧神話の調査し、
その影響のもと作品を書きました。

ヨーロッパの文化は、私たちが世界史の教科書で習ってきたように、
ヘレニズム(Hellenism:古代ギリシャ)と
ヘブライズム(Hebrewism:ユダヤ教・キリスト教)の
世界観を中心に語られてきました。

しかしヨーロッパではEU統合や通貨統一、加盟国の増加などを通して、
「ヨーロッパ」が問い直され、
或いは改めてそのアイデンティティやルーツが見直されてきています。

ヘレニズム、ヘブライズム文化のみでは語れない
ヨーロッパの多様な文化要素の一端を、ケルト文化は担っていると言えるのです。

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アーサー王(主演クライヴ・オーウェン)


アーサー王伝説のあらすじを、ごく簡単に書きます。
アーサー王伝説には、いくつものバージョンがあり、
バージョンによって物語の内容が異なっています。

イギリスのサー・トマス・マロリー(Malory, Sir Thomas)は、
5・6世紀のケルト伝説から起こり、
12・3世紀のフランスで語り継がれ、膨れ上がった物語を、
15世紀に「アーサー王の死(Le Morte Darthur)」として集大成しました。
以下の話は、トーマス・マロリーのものを元にした伝説です。

映画「キング・アーサー」の物語も、いくつかあるバージョンのうちの
ひとつのバージョンに基づいて描かれています。
以下のあらすじは、映画「キング・アーサー」のものとは異なります。
映画「キング・アーサー」の話は、その後に書きます。

アーサー王は、ブリテンの伝説の王です。
ケルト系ブリトン人とされています。
実在したとも言われますが、真偽は不明です。

不思議な因縁から魔術師マーリン(Merlin:ケルト伝説に登場する魔術師)の導きで
ブリテン王になったアーサーは、各地の貴族たちの勢力を結集して、
当時の征服者であるローマ軍を撃退し、
さらにはサクソン人(ゲルマン民族の一支族)たちの侵入を阻止するなど、
抜群の軍事能力を発揮しました。
もちろんその人柄は騎士道精神に富み、
豪胆かつ繊細、戦士としての力量も抜きんでいたといいます。

アーサーは、岩に突き刺さった剣を抜いて王となり、
聖剣エクスカリバー(Excalibur:アーサー王の伝説の剣)を携え、
キャメロット(Camelot:アーサー王の理想郷)に、きらびやかな宮殿を建設し、
ここを首都として、円卓の騎士たちとともに
ブリテンを統一し全領土を治めたと言われます。

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キャメロット Camelot ( Camaalot )
http://pages.infinit.net/celte/chateau.html


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聖剣エクスカリバー Excalibur (模造刀)
剣には、こう刻まれていたという。
"この剣を抜きたるものこそ、全イングランドの正当なる王として生まれたる者なり"
http://www.excaliburcity.com/menu570.htm


宮殿に集まった円卓の騎士団のメンバー達もまた魅力的な人物で、
それぞれがいくつもの武勇伝や恋愛談で語られています。
なお、「円卓」は平等を意味するテーブルで、伝説では魔術師マーリンが作ったとされ、
各席にはアーサー王と対等に会話できる騎士の名前が彫られていたといいます。

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円卓の騎士団 Knights of the Round Table
http://library.thinkquest.org/05aug/00158/knightsofroundtablepage1.html
上のURLをクリックすると、
「アーサー王と円卓の騎士団」を英文で読むことができます。


のちに円卓の騎士の一人であるサー・ラーンスロット(Lancelot)と
王妃グウィネヴィア(Guinevere)の恋による円卓の崩壊や
不義の子モードレッド(Mordred)の謀反のために、
さしもの英雄王にも苦難が訪れます。
モードレッドとの決戦で瀕死の重傷を負い、
常若の島アヴァロン(Avalon)に連れ去られて
傷を癒していると、伝説は締めくくられています。

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http://www.movies.co.jp/kingarthur/legend/story.html
上のURLをクリックすると、
「キング・アーサー公式ガイド アーサー王伝説」を読むことができます。


その伝説の続きはどうなったのか? 不思議な疑問が沸きます。


最後の闘いので傷ついたアーサー王が、
その傷を癒すために運ばれていった伝説の島、アヴァロンは、
別にアヴァロ、アヴィリオンの谷、林檎の島とも呼ばれます。

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アーサー王が今も眠る妖精の島アヴァロンか?
南ウェールズ Gower Peninsula
http://home.att.ne.jp/moon/kreuz/england/wales.htm


アヴァロン島は、モードレッドによって致命傷を与えられたアーサーが、
妖精モルガン(Morgan le Fay)や湖の姫ニミュエ(Nimue)などの
貴婦人たちの乗る船に乗せられて去っていく場所で、
湖に囲まれ、その周辺が険しい岩に囲まれた美しい島であり、
果樹の植えられた芝生、樹木が茂り、
一帯は深い緑の牧草地となっていると伝えられています。
湖の底や海の彼方の島だとも、地下にあるともいわれます。

アヴァロン島は、妖精モルガンが治めている国だといわれています。
モルガンは、妖精の女王としてさまざまな能力の持ち主とされています。
ちなみに、当時の人々が想像する”妖精”は、
今日いわれているような優美で可愛らしい存在ではなく、
むしろ魔女的な性格の、強く荒々しいイメージを持っていました。
具体的には、背が高く堂々とした美しい女性であり、
蠱惑、官能、冷酷といった、成熟した女の持つ危険をいっぱい持っているのです。
瀕死のアーサー王を舟に招き入れ、アヴァロンへいざなった湖の姫、美しい淑女の正体は、
この妖精モルガンとされています。

アヴァロンという言葉は、ケルト語の「りんご」に由来するといわれています。
「りんご」という果物は、一般にはイヴがエデンの園で口にした「禁断の果実」と
されていますが、インド・ヨーロッパ語圏全般に見られる古代の伝承によれば、
それは女神の「聖なる心臓」を意味しています。
女神とは地母神、つまりは大地の生命力の源であり、
その心臓とは女神のみが持つ「永遠の生命力」そのものとされています。
「りんごの島」とされるアヴァロン島とは、大地のなか、地中深くに存在する
地母神の本拠地「冥界」とも考えられています。
この地に招かれる"限られた人間"、つまりは英雄たちは、
自らの意志でこの"島"におもむき、そしてこの"島"から帰ることができるのです。

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妖精モルガン(Morgan le Fay)
http://secuestradoraenamorada.blogspot.com/


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アヴァロン島でアーサーを癒す湖の貴婦人たち
Arthur rests in peace in Avalon,guarded by four fairy queens.
http://www.mythicalrealm.com/legends/morgan_le_fay.html



アーサー王は今でもこの島で生きていて、
ブリテンの危機には帰ってくるという伝説もあります。

ローマ帝国は、イギリス(ケルト)を支配することになりますが、
ケルトの古い信仰を容認しました。
ローマ(キリスト教)にとって、ケルトという存在は
当然、異教徒であり、排除すべき対象のはずです。
しかし、イギリスにおける信仰を容認したのは、
ブリトン人の血の濃さを配慮せざるを得なかったからでしょう。
アヴァロン島は、間違いなく古代ケルト民族の伝統に基づいた
"楽園"であり"冥界"なのだからです。

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アーサー王の末期を飾る島
http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-275-9p.html


映画「キング・アーサー」の物語は、
いくつかあるアーサー王物語の一つです。

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これは、マロリーが集大成して書いた「アーサー王の死」に
代表される騎士物語などの伝説とはストーリーが異なっています。

映画「キング・アーサー」の物語の舞台は、
5〜6世紀、ローマ軍がブリテン島にいた時代です。
サクソン人の侵略を防ごうとするブリトン人のリーダーとして、
ローマの軍人であるアーサーとその騎士たちが戦う話になっています。
騎士たちは、サルマティア人(Sarmatian:サルマート人)という
ローマに侵略されたヨーロッパの騎馬民族で、
アーサーの指揮の下傭兵としてブリテン島で戦っています。

サルマティア人とは、南ロシアを中心とした平原で、
スキタイ人(scythians)の後に勢力を拡大したイラン系騎馬民族です。
紀元前4〜3世紀ころから活躍し、紀元後6世紀に消滅しています。
紀元後3世紀にフン族の進出によって、ヨーロッパへ圧迫されたため、
東欧で遺物が発見されたりします。『角川 世界史辞典』P376

映画「キング・アーサー」は、伝説的な話ではなく、
歴史的な経緯をふまえた上で作ろうとしたアーサー王物語で、
アーサーを、ローマからブリテン島に派遣された軍司令官、
騎士たちを徴兵されてブリテン島に送られたサルマティア人だという設定にしてある映画です。

映画の中に、聖杯や、王妃グウィネヴィアと盟友ランスロットとの不倫、
魔法使いマーリンなどの話が出てこないと許せない向きには、
ストーリーの異なる話だと思って、割り切って見るしかない映画です。
ファンタジーな伝説ではなく、史実を重視した歴史物語として見たほうがいいと思います。


ローマ帝国時代、ブリテンはローマの支配下にありました。
ローマの司令官アーサーは、ブリテン各地から徴兵された勇猛な騎士達とともに、
城壁を守っていましたが、
15年の使役が終わり、騎士達を故郷に帰す日に、最後の命令を受けます。
城壁の北の地方で、サクソン人に囲まれたローマ人の一家、
特にその息子を救い出せというものでした。
アーサー達はローマ人一家を救出しますが、
その屋敷に数人のブリテン人が捕らわれ、拷問されているのを見つけます。
アーサーによって助けられたブリテン人の女性グウィネヴィアは、
アーサーがローマのために働くことを非難し、
ブリテンの独立のため一緒に戦うように要請します。
ブリテン人の血を半分ひいているものの、ブリテンのゲリラに襲われ、
母を亡くしたアーサーは苦悩します。
北からサクソン人の軍がブリテンを侵略しようと迫っていました・・・
古代の勇猛な戦いぶりが見ものです。

ハドリアヌスの城壁は史実に登場する「アルトリウス」である
アーサーが活躍したであろう地に残る遺跡です。
また、伝説で言われているアーサー最後の戦い「カムランの戦い」は、
このハドリアヌスの城壁近くにある「カムボグラナ」である説もあります。
http://www.athenapub.com/hadw48.htm

映画「キング・アーサー」では、
今も遺跡が残る「ハドリアヌスの城壁(Hadrian's Wall)」が舞台になり、
アーサーが勝利したと言われる「ベイドン山の戦い(The battle of Mount Badon)」が
クライマックスになっています。


アーサー王は一般に、「アーサーはカムランの戦い(Battle Camlann)で戦死」しています。
真偽のほどはともかく、「ウェールズ年代記」という書物には、
"539年 カムランの戦いでアーサーとメドラウト(モードレッドのこと)が死亡した"と
書かれているのが最初の登場でしょうか。
これを採用して、のちのアーサー王伝説、マロリーの「アーサー王の死」も、
アーサーの死に場所をカムランの戦いに設定し、モードレッドとの決戦について述べています。


事実は、歴史と伝承が幾重にも折り重なり、
深い霧と闇の彼方に隠されています。
しかし、
伝説の英雄・アーサーは、
実在したとしても、物語の中の人物としても、
華々しい勝利をもたらした、人々の希望の的だったかもしれません。
その勝利は長く続かず、短く輝く栄光の時代のうちに去ってゆきました。
そして、伝説だけが永遠のものとなりました。

「アーサー王伝説」と映画「キング・アーサー」の簡単な比較がこちらのサイトに出ています。
http://www.geocities.jp/hiyotamahiyoko/ioan/kk/king2.htm


「キング・アーサー」の映画の最後に流れるクレジットのBGMは、
哀愁のこもった幻想的な音楽で、最後まで聴いていました。

映画紹介サイト
http://www.movies.co.jp/kingarthur/

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【伝説】アーサー王と円卓の騎士
http://matiere.at.webry.info/200408/article_1.html

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